アンディ・バンスライク

アメリカの野球選手 (1960 - )

アンドリュー・ジェームズ・ヴァンスライクAndrew James Van Slyke, 1960年12月21日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州オナイダ郡ユーティカ出身の元プロ野球選手外野手)。右投左打。

アンディ・ヴァンスライク
Andy Van Slyke
マリナーズでのコーチ時代
(2014年7月2日)
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地ニューヨーク州オナイダ郡ユーティカ
生年月日 (1960-12-21) 1960年12月21日(63歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
192 lb =約87.1 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション外野手
プロ入り1979年 MLBドラフト1巡目(全体6位)でセントルイス・カージナルスから指名
初出場1983年6月17日
最終出場1995年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

経歴・人物

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1979年MLBドラフト1巡目(全体6位)でセントルイス・カージナルスから指名され、プロ入り。1983年はAAA級で打率.368・出塁率.445・長打率.582[1]の好成績を挙げ、6月17日シカゴ・カブス戦でメジャーデビュー[2]。同年は打率.262・8本塁打・21盗塁の成績。1984年は打率.244・7本塁打に終わるが、出塁率.354・28盗塁を記録する。1985年右翼手のポジションに定着し、打率.259・13本塁打・34盗塁を記録してチームの地区優勝に貢献。ロサンゼルス・ドジャースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.091に終わる[3]が、チームはリーグ優勝を果たす。カンザスシティ・ロイヤルズとのワールドシリーズでも打率.091と不振[3]で、チームも王手をかけてから3連敗を喫し3勝4敗で敗退した。1986年は打率.270・13本塁打・21盗塁の成績だった。

1987年開幕直前の4月1日トニー・ペーニャとのトレードで、他2選手と共にピッツバーグ・パイレーツへ移籍した。同年は6月から中堅手に転向[4]。打率.293・21本塁打・82打点・34盗塁・11三塁打を記録し、打撃面で飛躍する。1988年オールスターゲームに初選出される。打率.288・25本塁打・100打点・30盗塁、リーグトップの15三塁打の成績で、シルバースラッガー賞ゴールドグラブ賞を初受賞。以後1992年まで五年連続して同賞を受賞する。1987年頃には「自分がゴールドグラブ賞を獲るためには、3割30本100打点ぐらい打たないと無理だね」と語っていた。というのも、当時のナ・リーグのゴールドグラブ賞は殿堂入りの好打者トニー・グウィンや、強打者のアンドレ・ドーソンエリック・デービスデール・マーフィーらが「常連」であったからなのだが、打撃面の成長もあってか1988年から5年連続での受賞に結びついた。また、この年と1992年にはシルバースラッガー賞を受賞している。

当時のパイレーツは左翼手バリー・ボンズ、右翼手がボビー・ボニーヤと強打者揃いで、その真ん中にあって好守・巧打と俊足を誇り、リーグ最強の外野陣の声もあがった(ただしボンズとは仲が悪く、試合中に口論をしたこともあった)。

1990年から1992年のチームのナ・リーグ東地区3連覇にも貢献するが、チームはこの間一度もワールドシリーズ出場はならなかった。1992年にリーグ最多の199安打を打って、自己最高の打率.324を記録。ボニーヤは1991年限りでニューヨーク・メッツへ、ボンズも1992年限りでサンフランシスコ・ジャイアンツにそれぞれフリーエージェントで移籍し、外野トリオも解体。バンスライク自身も1993年以後は成績が下降し、1995年にはボルチモア・オリオールズに移籍するが、わずか17試合に出場したのみでフィラデルフィア・フィリーズに再度移籍し、その年限りで現役を引退した。

2006年より、パイレーツ時代の監督ジム・リーランドが監督を務めるデトロイト・タイガースで一塁ベースコーチを務める。2006年にはリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズにも出場。2007年オールスターでも一塁ベースコーチを務めた。2009年のシーズン終了後、タイガースを退団した。

2014年のシーズンよりシアトル・マリナーズのコーチを務めていたが、2015年オフに監督のロイド・マクレンドンらと共に解任された。

息子、アンディ・バンスライク・ジュニアスコット・バンスライクはいずれもマイナーリーガーとなっている。アンディ・ジュニアはカージナルスのマイナー組織でプレイ。スコットは2012年ロサンゼルス・ドジャースでメジャー昇格し、親子メジャーリーガーとなった。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1983STL1013613095181155813038217234651644.262.357.421.777
19841374263614588164713350285026390715.244.354.368.723
1985146475424611102561318655346114762547.259.335.439.774
1986137470418481132371318961218134751852.270.343.452.795
1987PIT15763056493165361121286823483356441226.293.359.507.866
198815465958710116923152529710030911357211268.288.345.506.851
19891305314766411318991765316414473310013.237.308.370.677
1990136567493671402661722977144346621896.284.367.465.832
19911385774918713024717219831030117114855.265.355.446.801
199215468561410319945121431089123095844999.324.381.505.886
199383353323421001348145501120424524013.310.357.449.806
1994105430374419218361343070025272729.246.340.358.698
1995BAL1768636101032080000510151.159.221.317.538
PHI6324621426521023751670022812416.243.333.350.684
'95計8031427732621126952470023322567.224.309.343.652
MLB:13年16586478571183515622939116425297922455912616675527106394.274.349.443.792
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

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背番号

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  • 18(1983年 - 1995年途中、2006年 - 2009年)
  • 34(1995年途中 - 同年終了)
  • 43(2014年 - 2015年)

脚注

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  1. ^ Andy Van Slyke Minor League Statistics & History” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年6月7日閲覧。
  2. ^ 1983 Batting Gamelogs” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年6月7日閲覧。
  3. ^ a b Postseason Batting Gamelogs” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年6月7日閲覧。
  4. ^ 1987 Batting Gamelogs” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年6月7日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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