オリオンザサンクス

オリオンザサンクス(欧字名:Orion the Thanks1996年4月10日 - 2023年3月3日)は、日本競走馬種牡馬[1]

オリオンザサンクス
2000年11月25日 東京競馬場
欧字表記Orion the Thanks[1]
品種サラブレッド[1]
性別[1]
毛色栗毛[1]
生誕1996年4月10日[1]
死没2023年3月3日(27歳没)[2]
抹消日2001年11月19日[3]
シャンハイ[1]
ミラノコレクション[1]
母の父リヴリア[1]
生国日本の旗 日本北海道門別町[1]
生産者森永隆範[1]
馬主日浦桂子[1]
調教師田部和則北海道
赤間清松大井
[1]
競走成績
タイトルNARグランプリサラブレッド系最優秀4歳馬(1999年)[4]
生涯成績24戦11勝[1]
獲得賞金2億7291万円[1]
勝ち鞍GIジャパンダートダービー(1999年)
栄冠賞(1998年)
京浜盃(1999年)
羽田盃(1999年)
東京ダービー(1999年)
フロンティアスプリント盃(2000年)
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主な勝ち鞍に1999年ジャパンダートダービーGI)など。同年のNARグランプリサラブレッド系最優秀4歳馬に選出された。

競走馬時代

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馬齢は2000年まで旧表記。

3歳時(1998年)は公営ホッカイドウ競馬田部和則厩舎に所属。同年4月15日門別競馬場でデビューし初勝利。

その後旭川競馬場でオープン戦と重賞の栄冠賞において2度のレコードタイム(1000m)を叩き出し、この頃から地方競馬期待の3歳馬と言われるようになる。

ホッカイドウ競馬で6戦4勝の成績で同年の暮れに南関東公営大井競馬場赤間清松厩舎へ移籍し、大井のベテラン早田秀治騎手との名コンビが誕生する。

移籍後初の出走となった川崎競馬場全日本3歳優駿統一GII)は10着に終わる。

1999年、明け4歳になると持ち味である強烈なスピードを武器に、この年初戦の若獅子特別ではほとんど大暴走状態にしか見えない程の驚異的な大逃げを打った挙げ句、さらに2着馬に1.5秒差を付ける大楽勝、大雪の中で行われた京浜盃も早め先頭から押し切り、1999年の南関東三冠路線の大本命となる。

南関東三冠においても第1戦羽田盃も危なげなく逃げ切り。続く第2戦の東京王冠賞こそ同世代のライバルであったオペラハットとタイコウレジェンドに捕まり3着に敗れるも、三冠最終戦の東京ダービーでは再び逃げ切り南関東の二冠馬となった。

そしてこの年から新たに中央地方全国交流GI競走として新設された第1回ジャパンダートダービーでは南関東の総大将格として中央勢を迎え撃つ。ここでも単勝1番人気に応え見事に逃げ切ってこの競走の初代王者となった。

これで同年の4歳ダート最強馬の地位を確保したように見えたが、その後は武器であるスピードを欠き不本意なレースが続いた。秋はスーパーチャンピオンシップで復帰するも11着大敗。

古馬になった2000年は様々な距離のレースに出走し、また中央競馬のダートGIにも参戦するなど新境地を模索することになる。地元大井のフロンティアスプリント盃では久々の短距離戦でもあったが、逃げずに差し切り勝ちを収める。同年11月25日東京競馬場で日本初のダート国際競走として新設された第1回ジャパンカップダート(JRAGI)に地方競馬代表として選出され、スタートから猛スピードで逃げを打ち大勢の観衆をあっと言わせたが結局失速してしまう(15着)。暮れの東京大賞典に登録したものの補欠扱いで除外され、勝島オープンに出走し勝ち星を挙げて2000年の締めくくりとなった。

馬齢表記が変わった2001年東京シティ盃から始動。1番人気に推されるも5着に敗れる。2戦目に佐賀競馬場で行われた佐賀記念(統一GIII)に遠征、この競走11着後に屈腱炎が判明、現役を引退した[5][6]

競走成績

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以下の内容は、JBISサーチ[7]およびnetkeiba.com[8]に基づく。

競走日競馬場競走名距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順タイム
(上がり3F)
着差騎手斤量
[kg]
1着馬(2着馬)馬体重
[kg]
1998.04.15門別フレッシュチャレンジダ1000m(重)1178003.90(2人)01着R1:02.2-0.30渋谷裕喜53(スクオールチェイス)476
0000.06.17札幌3才OPダ1000m(稍)121100 - 00(1人)07着R1:02.5-0.50渋谷裕喜53ダイコースター488
0000.07.02旭川3才ダ1000m(稍)95500 - 00(2人)02着R1:01.9-0.20渋谷裕喜53カミワザ488
0000.07.29旭川3才OPダ1000m(重)833002.40(1人)01着R1:00.5-0.50渋谷裕喜53(モルフェロイ)486
0000.08.26旭川3才OPダ1000m(良)855001.40(1人)01着R1:01.6-0.70渋谷裕喜53(ワンダーパワー)488
0000.09.23旭川栄冠賞H2ダ1000m(不)1446002.70(2人)01着R0:59.9-0.00渋谷裕喜54(シンセイライデン)496
0000.12.29川崎全日本3歳優駿GIIダ1600m(良)1381300 - 00(4人)10着R1:45.2-1.90早田秀治54アドマイヤマンボ507
1999.01.19大井若獅子特別ダ1700m(良)14814005.10(2人)01着R1:48.6(40.8)-1.50早田秀治55(リワードコンガ)512
0000.02.11大井京浜盃G2ダ1700m(重)16510001.30(1人)01着R1:48.0(39.4)-0.00早田秀治55(ケイシュウエクセル)509
0000.04.13大井羽田盃G1ダ1600m(稍)16510001.40(1人)01着R1:41.3(40.2)-0.60早田秀治56(ラビットシンフォニ)508
0000.05.10大井東京王冠賞G1ダ1800m(良)1651000 - 0(1人)03着R1:54.8(38.7)-0.00早田秀治56オペラハット515
0000.06.09大井東京ダービーG1ダ2000m(良)16815002.90(2人)01着R2:07.7(39.2)-0.50早田秀治56(タイコウレジェンド)515
0000.07.08大井ジャパンDダービーGIダ2000m(良)1546002.20(1人)01着R2:06.9(40.7)-0.00早田秀治56(オペラハット)517
0000.10.13大井スーパーCSG2ダ2000m(良)113300 - 0(1人)11着R2:16.3(47.0)-8.40早田秀治56イチコウタマユキ532
2000.02.20東京フェブラリーSGIダ1600m(良)1624069.8(13人)15着R1:37.5(39.8)-1.90早田秀治56ウイングアロー524
0000.03.22大井フロンティアスプリント盃G3ダ1200m(良)1659001.70(1人)01着R1:12.4(36.7)-0.30早田秀治57(デアヴィクティー)529
0000.04.13大井マイルグランプリG1ダ1600m(良)1471100 - 00(3人)05着R1:41.2(39.4)-0.20早田秀治57インテリパワー530
0000.06.22大井帝王賞GIダ2000m(良)163600 - 00(8人)15着R2:10.5(44.0)-4.90早田秀治57ファストフレンド526
0000.09.27大井東京盃GIIダ1200m(良)1561000 - 00(5人)08着R1:12.5(37.1)-2.30早田秀治57ベラミロード543
0000.10.31大井グランドチャンピオン2000G1ダ2000m(重)1561000 - 00(5人)02着R2:06.2(39.5)-0.20早田秀治57マキバスナイパー537
0000.11.25東京ジャパンCダートGIダ2100m(良)1523087.0(13人)15着R2:13.9(43.4)-6.70早田秀治57ウイングアロー526
0000.12.30大井勝島OPダ1600m(良)14814001.70(1人)01着R1:40.0(40.3)-0.60早田秀治57.5(ゼンノモトーレ)525
2001.01.17大井東京シティ盃G3ダ1400m(稍)1661200 - 00(1人)05着R1:25.5(38.6)-1.10早田秀治58サプライズパワー519
0000.02.12佐賀佐賀記念GIIIダ2000m(稍)117800 - 00(6人)11着R2:13.7-5.00早田秀治59ミツアキサイレンス518

種牡馬時代

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引退後は荒木克己育成牧場で種牡馬となった[9]。初年度産駒は2005年にデビューしている。

2008年4月13日福島競馬場で行われた3歳未勝利戦をザドリームジュエルが制して、産駒が中央競馬で初勝利を挙げた。また、2008年の九州ダービー栄城賞オリオンザナイトが制し、“ダービー馬”の父となった[5][10]

2018年5月1日付で種牡馬を引退[11]し、引き続き荒木牧場に繋養されていた[6][12]が、2023年3月3日に同牧場で死亡した。[2]。27歳没。

血統表

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オリオンザサンクス血統(血統表の出典)
父系ミスタープロスペクター系

*シャンハイ
Shanghai
1989 鹿毛
父の父
Procida
1981 鹿毛
Mr. ProspectorRaise a Native
Gold Digger
Wish DistinctionDistinctive
Carrie's Rough
父の母
Korveya
1982 栗毛
RivermanNever Bend
River Lady
KonafaDamascus
Royal Statue

ミラノコレクション
1991 鹿毛
*リヴリア
Rivlia
1982 鹿毛
RivermanNever Bend
River Lady
DahliaVaguely Noble
Charming Alibi
母の母
フドウゴールド
1979 栗毛
*モハビSwaps
Somebody Who
*カウンテスドレスアップ*ドレスアップ
Countess Lautrec
母系(F-No.)(FN:16)
5代内の近親交配Riverman 3x3=25%

シャンハイヘクタープロテクターボスラシャムの兄弟にあたり、現役時代はプールデッセデプーランを優勝している(半兄ヘクタープロテクターとの兄弟優勝)。引退後は日本に輸入され種牡馬となった。地方競馬の2歳リーディングサイアーに輝き、産駒は総じて早熟で、短距離志向が強いが、オリオンザサンクスは例外的な存在であった。

母ミラノコレクションは未勝利であるが、祖母フドウゴールドは南関東(浦和)の重賞しらさぎ賞の優勝馬、その半弟カウンテスアップ東京大賞典などの勝ち鞍がある。フドウゴールドとカウンテスアップの兄弟はカーレッド3x3の強いインブリード、オリオンザサンクスもリヴァーマン3x3の強いインブリードを持つのが特徴である。

血統からは、この馬については母父に中長距離血統のリヴリアがおり、さらにリヴァーマン(Riverman)3x3の強いインブリードがあった。

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o オリオンザサンクス”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年3月18日閲覧。
  2. ^ a b オリオンザサンクスの死亡について”. 引退名馬. 2023年3月3日閲覧。
  3. ^ オリオンザサンクス 出走履歴”. 地方競馬全国協会. 2022年2月5日閲覧。
  4. ^ NARグランプリ受賞馬(1999年~1997年)”. 競走馬のふるさと案内所. 2022年5月1日閲覧。
  5. ^ a b 時代を先駆けた韋駄天オリオンザサンクス ~ジャパンダートダービー~ | 名馬ストーリー | データ&コラム”. 東京シティ競馬 : TOKYO CITY KEIBA. 2022年1月20日閲覧。
  6. ^ a b オリオンザサンクスがサポートホースに!~荒木牧場功労馬サポーターズ~”. 認定NPO法人 引退馬協会. 2022年1月20日閲覧。
  7. ^ オリオンザサンクス 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年10月21日閲覧。
  8. ^ オリオンザサンクスの競走成績”. netkeiba.com. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年10月21日閲覧。
  9. ^ サラ系供用種牡馬一覧|トピックス”. JBISサーチ. 2022年5月1日閲覧。
  10. ^ オリオンザサンクスを訪ねて | 馬産地コラム”. 競走馬のふるさと案内所. 2022年5月1日閲覧。
  11. ^ 2018年の供用停止種雄馬一覧”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022年5月1日閲覧。
  12. ^ オリオンザサンクス | 馬・牧場・施設検索”. 競走馬のふるさと案内所. 2022年5月1日閲覧。

外部リンク

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