オリオール・セルビア

オリオール・セルビア・イ・インベルス (Oriol Servià i Imbers, 1974年7月13日 - ) は、スペインカタルーニャ州ジローナ出身のレーシングドライバー。カタルーニャ工科大学卒。機械工学の学位を持つ。

オリオール・セルビア
オリオール・セルビア、2011年5月
基本情報
国籍スペインの旗 スペイン
生年月日 (1974-07-13) 1974年7月13日(49歳)
出身地ジローナ県ジローナ
インディカー・シリーズでの経歴
デビュー2008
所属レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング
車番16
過去所属レイホール・レターマン・レーシング
KVレーシング・テクノロジー
ニューマン・ハース・レーシング
ドレイヤー&レインボールド・レーシング
出走回数62
優勝回数0
ポールポジション0
シリーズ最高順位2位 (2011)
オリオール・セルビア
基本情報
CARTシリーズでの経歴
活動時期2000-2007
所属PPIモータースポーツ
シグマ・オートスポーツ
PWRチャンピオンシップ・レーシング
パトリック・レーシング
デイル・コイン・レーシング
ニューマン・ハース・レーシング
PKVレーシング
フォーサイス・チャンピオンシップ・レーシング
出走回数125
優勝回数1
ポールポジション1
シリーズ最高順位2位 (2005)
過去参加シリーズ
1998-1999インディ・ライツ
選手権タイトル
1999インディ・ライツ チャンピオン

ラリードライバーで政治家のサルバドール・セルビアはオリオールの父、シュレッサー・バギーで活躍したクロスカントリードライバーのホセ・マリア・セルビアは叔父にそれぞれあたる。

経歴

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初期

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多くの他のドライバーと同じく、セルビアは19歳でレーシングカートからその経歴を始めた。フォーミュラ3に数戦参加した後、1998年にアメリカでインディ・ライツに参戦する。1999年にはケイシー・メアーズとタイトルを争い、チャンピオンを獲得した。シーズンでの優勝は1度も無かったが、コンスタントに入賞した結果のチャンピオンであった。

2000年、セルビアはクリスチアーノ・ダ・マッタのチームメイトとしてPPIモータースポーツに加入し、チャンプカー・ワールド・シリーズに参戦する。翌年にはシグマ・オートスポーツに移籍、さらに2002年にはパトリック・レーシングに移籍した。2004年にはデイル・コイン・レーシングに移籍し、第11戦のラグナ・セカでは3位とそれまでで最高位に入賞した。また、2002年のインディ500ではウォーカー・レーシングおよびコンクェスト・レーシングからプラクティスに参加したが、いずれも予選不通過となった。

2005-2006

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2005年シーズンはデイル・コイン・レーシングで継続参戦したが、2戦を終えた後、ブルーノ・ジュンケイラが負傷により離脱したニューマン・ハース・レーシングに移籍することとなった。2005年8月28日、セルビアはモントリオールにおいてチャンプカーでの初勝利を挙げる。この勝利は論議を呼ぶこととなった。ティモ・グロックがセルビアのアタックをかわすために最終シケインをショートカットしてブロック、次のアタックに対しても同様の動きをしてブロックした。グロックはこのアンフェアな行為に対して警告を受けた。この年セルビアはチームメイトのセバスチャン・ボーデに次ぐ2位でシーズンを終えた。翌2006年PKVレーシングに移籍、イギリス人ルーキーのキャサリン・レッグがチームメイトとなった。また、チームの共同オーナーであるジミー・バッサーがスポット参戦した。セルビアはシーズンを11位で終え、表彰台はクリーブランドでの3位のみであった。

2007年シーズン、セルビアは負傷したポール・トレーシーに代わってフォーサイス・チャンピオンシップ・レーシングに加入、第2戦から参戦した。新型のパノス・DP01をドライブする時間は僅かだったにもかかわらず、2位に入賞した。続くヒューストンでは4位に入賞、トレーシーは第4戦のポートランドから復帰したが、セルビアはマリオ・ドミンゲスの後任として残るレースを戦うこととなった。フォーサイスでの11戦で2度の表彰台、4度のトップ5を達成する。第9戦のサンノゼでは42周のラップリードを保ち、3位に入賞した。しかしながらチームは2007年9月12日にメキシコ人ドライバーのデヴィッド・マルチネスの起用を発表した。幸運にも10月にPKVレーシングがトリスタン・ゴメンディに代わるドライバーとしてセルビアを指名した。セルビアは13戦の内12戦をトップ10でフィニッシュし、開幕戦には参加できなかったもののシーズンを6位で終えた。

インディアナポリス・モータースピードウェイ、2008年5月
KVレーシングのマシンを駆るセルビア、インディアナポリスで

2008年1月3日、PKVレーシングは2008年シーズンにセルビアを起用することを発表した[1]。しかしながら、チャンプカーとIRLの統合により、チャンプカー参戦予定であったセルビアとウィル・パワーはKVレーシングの名前でインディカー・シリーズに参戦することとなった。

セルビアは2008年のインディ500で25位からスタートし、11位でフィニッシュした。セルビアはレースの大半を15位以内で走行した。1週間後、彼はミルウォーキーで目覚ましい走りを見せる。レース序盤でエンリケ・ベルノルディと接触し26位に沈んだものの、再スタート後は猛烈な追い上げを見せて6位でフィニッシュした。不調に終わったアイオワ、テキサスの後、デトロイトでは4位に入る。シーズン最終戦のシカゴではCDWが新たなスポンサーとして加わった。

このシーズン、セルビアはトップ10で7回完走し、トップ5には5回、4位が最高位であった。

2009年はレギュラードライバーとして参戦することができず、インディ500にレイホール・レターマン・レーシングから出場した。予選3日目に220.984mphで予選を通過したが、決勝では機械トラブルで26位となった[2]。その後アンドレッティ・グリーン・レーシングトニー・カナーンのアドバイザーを務めた後、ニューマン・ハース・レーシングから4戦に参加、もてぎでは4位に入賞した。

2011年シーズンはニューマン・ハース・レーシングから参戦。ミルウォーキーで3位、ニューハンプシャーとボルチモアで2位に入賞し、ランキング4位でシーズンを終えた。

2012年にはドレイヤー&レインボールド・レーシングへ移籍。チームは第5戦のインディ500よりパンサー・レーシングと提携したが、最高位はインディの4位、トータル287ポイントでランキング13位に終わった。

2013年も引き続き同チームより参戦。サンパウロでは4位を獲得するなどしたが、チームスポンサーの関係で途中から同チームから参戦できなくなったが、シーズン後半はパンサー・レーシングより参戦した。

2014年シーズンはレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングに第2戦から第5戦までスポットで参戦。その後新たに開催されたフォーミュラEにおいてドラゴン・レーシング・フォーミュラEチームより参戦している[3]

レース戦績

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アメリカン・オープンホイール

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CART/チャンプカー・ワールド・シリーズ

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チームシャシーエンジン123456789101112131415161718192021順位ポイント
2000年PPIモータースポーツレイナード・2KiトヨタMIA
Ret
LBH
6
RIO
Ret
MOT
Ret
NZR
9
MIL
19
DET
3
POR
8
CLE
Ret
TOR
11
MIS
8
CHI
Ret
MDO
10
ROA
10
VAN
11
LS
Ret
STL
5
HOU
9
SRF
9
FON
Ret
15位60
2001年シグマ・オートスポーツローラ・B01/00コスワースMTY
14
LBH
14
TXS
NH
NZR
9
MOT
14
MIL
14
DET
16
POR
9
CLE
17
TOR
23
MIS
11
CHI
18
MDO
9
ROA
10
VAN
5
LAU
5
ROC
10
HOU
26
LS
17
SRF
25
FON
11
19位42
2002年PWRチャンピオンシップ・レーシングローラ・B02/00トヨタMTY
10
LBH
11
MOT
6
MIL
Wth
LSPORCHITORCLE16位44
パトリック・レーシングレイナード・02iVAN
14
MDO
10
ROA
16
MTL
16
DEN
11
ROC
4
MIA
17
SRF
16
FON
5
MXC
9
2003年パトリック・レーシングローラ・B02/00コスワースSTP
12
MTY
18
LBH
12
BRH
4
LAU
5
MIL
2
LS
6
POR
5
CLE
6
TOR
5
VAN
16
ROA
18
MDO
18
MTL
2
DEN
3
MIA
19
MXC
13
SRF
19
FON
NH
7位108
2004年デイル・コイン・レーシングLBH
15
MTY
14
MIL
7
POR
11
CLE
4
TOR
9
VAN
12
ROA
6
DEN
6
MTL
9
LS
3
LVG
12
SRF
13
MXC
7
10位199
2005年デイル・コイン・レーシングLBH
11
MTY
9
2位288
ニューマン・ハース・レーシングMIL
3
POR
16
CLE
3
TOR
2
EDM
2
SJO
3
DEN
4
MTL
1
LVG
2
SRF
5
MXC
4
2006年PKVレーシングLBH
18
HOU
12
MTY
8
MIL
5
POR
10
CLE
3
TOR
12
EDM
4
SJO
8
DEN
15
MTL
16
ROA
4
SRF
13
MXC
6
11位197
2007年フォーサイス・チャンピオンシップ・レーシングパノス・DP01LVGLBH
2
HOU
4
POR
11
CLE
7
MTT
9
TOR
10
EDM
6
SJO
3
ROA
4
ZOL
6
ASN
8
6位237
PKVレーシングSRF
14
MXC
3

インディカー・シリーズ

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チームシャシーエンジン12345678910111213141516171819順位ポイント
2002年ウォーカー・レーシングダラーラシボレーHMSPHXFONNZRINDY
DNQ
TXSPPIRRIRKANNSHMISKTYSTLCHITX2NC0
2008年KVレーシング・テクノロジーホンダHMS
12
STP
7
MOT1
DNP
LBH1
5
KAN
11
INDY
11
MIL
6
TXS
26
IOW
16
RIR
5
WGL
23
NSH
16
MDO
5
EDM
5
KTY
12
SNM
15
DET
4
CHI
17
SRF2
5
9位358
2009年レイホール・レターマン・レーシングホンダSTPLBHKANINDY
26
MILTXSIOWRIRWGLTOREDMKTY21位115
N/H/LレーシングMDO
11
SNM
6
CHI
7
MOT
4
HMS
2011年ニューマン・ハース・レーシングSTP
9
ALA
5
LBH
6
SAO
5
INDY
6
TXS1
21
TXS2
25
MIL
3
IOW
14
TOR
12
EDM
22
MDO
8
NHM
2
SNM
11
BAL
2
MOT
5
KTY
6
LVS34位425
2012年ドレイヤー&レインボールド・レーシングダラーラ・DW12ロータスSTP
16
ALA
13
LBH
16
SAO
11
13位287
パンサー・ドレイヤー&レインボールド・レーシングシボレーINDY
4
DET
5
TXS
20
MIL
4
IOW
21
TOR
5
EDM
24
MDO
25
SNM
19
BAL
7
FON
19
2013年STP
17
ALA
15
LBH
6
SAO
4
INDY
11
DET1DET222位133
パンサー・レーシングTXS
19
MILIOW
7
POCTOR1TOR2MDO
14
SNMBAL
12
HOU1
19
HOU2
7
FON
19
2014年レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングホンダSTP
LBH
7
ALA
20
IMS
12
INDY
11
DET1DET2TXSHOU1HOU2POCIOWTOR1TOR2MDOMILSNMFON24位88
2015年STPNLALBHALAIMSINDY
29
DET1DET2TXSTORFONMILIOWMDOPOC32位46
アンドレッティ・オートスポーツSNM
12
2016年チーム・ペンスキーシボレーSTP
18
PHXLBH
ALA
IMS
24位72
シュミット・ピーターソン・モータースポーツホンダINDY
12
DET1
DET2
RDA
IOW
TOR
MDO
POC
TXS
WGL
SNM
2017年レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングSTP
LBH
ALA
PHX
IMS
INDY
21
DET1
20
DET2
19
TXS
ROA
IOW
TOR
MDO
POC
GMP
WGL
SNM
27位61
1 同日に開催された
2 ノンタイトル戦
3 11週目に発生した多重クラッシュによりダン・ウェルドンが死亡。レースは中止となった
年数チーム数レース数PP数勝利数表彰台
(勝利以外)
トップ10
(表彰台以外)
インディ500勝利数チャンピオン獲得数
66620032900

インディ500

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シャシーエンジンスタートフィニッシュチーム
2002年ダラーラシボレーDNQウォーカー・レーシング
ダラーラインフィニティDNQコンクェスト・レーシング
2008年ダラーラホンダ2511KVレーシング・テクノロジー
2009年ダラーラホンダ2526レイホール・レターマン・レーシング
2011年ダラーラホンダ36ニューマン・ハース・レーシング
2012年ダラーラシボレー274パンサー/ドレイヤー&レインボールド・レーシング
2013年ダラーラシボレー1311パンサー ドレイヤー&レインボールド・レーシング
2014年ダラーラホンダ1811レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング
2015年ダラーラホンダ1329レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング
2016年ダラーラホンダ1012シュミット・ピーターソン・モータースポーツ
2017年ダラーラホンダ1221レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング

フォーミュラE

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チーム車両1234567891011順位ポイント
2014年-2015年ドラゴン・レーシングスパーク-ルノー・SRT 01EBEI
7
PUT
7
PDE
9
BNA
9
MIA
LBH
MON
BER
MOS
LON
LON
19位16

参照

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外部リンク

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タイトル
先代
クリスチアーノ・ダ・マッタ
インディ・ライツチャンピオン
1999
次代
スコット・ディクソン