シッド・エイベル

シッド・エイベル(Sidney Gerald "Sid" Abel、1918年2月18日 - 2000年2月7日)は、カナダ連邦サスカチュワン州メルヴィル (Melville) 生まれのプロアイスホッケー選手である。

レッドウィングスの本拠地に掲げられたバナー

NHLでは1938-1939シーズンから1953-1954シーズンまでデトロイト・レッドウィングス及びシカゴ・ブラックホークスに所属し、3度のスタンレー・カップ優勝を経験した。引退後はコーチを務めた。1969年ホッケーの殿堂入りを果たしている。

愛称は"オールド・ブート・ノーズ"("Old Boot nose")。モントリオール・カナディアンズモーリス・リシャールを嘲弄したところ、リシャールからパンチを受け、鼻骨骨折したエピソードから)。

経歴

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ジュニア時代を Saskatoon Wesley 及び Flin Flon Bombers でプレイ後、1938年にレッドウィングスに入団する。プロ1年目、2年目は、NHLではそれぞれ15試合、24試合に出場したのみで、主にAHLのピッツバーグ、デトロイト、インディアナポリスなどでプレーした。3年目からはNHLに定着し、4年目にはレッドウィングスのセンター(当時のウイングは、Don Grosso 、Eddie Wares )として活躍し、また、24歳でキャプテンに就任しスタンレー・カップ優勝に貢献した。

1943-1944、1944-1945シーズンは、第二次世界大戦によりモントリオールおよびイギリス兵役に就いたため、NHLへの出場記録はない。

終戦後の1946年からは、エイベルは同じく殿堂入りを果した右ウィングのゴーディ・ハウおよび左ウイングのテッド・リンジーとともに組んだ、いわゆる「プロダクション・ライン」の司令塔として活躍した。

1952年7月22日には、エイベルの絶頂期が過ぎたと見たレッドウィングスのマネージャー、ジャック・アダムスによって金銭によるトレードでブラックホークスに移籍し、2シーズンは選手兼コーチを務めた。これにより、後進に対する指導の仕事にも面白さを見出したといわれる。1957-1958シーズンに再びレッドウィングスに返り咲き、前コーチ、ジミー・スキナー (Jimmy Skinner) の病によってコーチを引き継いだ。また、1962-1963シーズンからはチームのGMに就任し、1969-1970シーズンまで同職にあった。

その後、1971年からは短期間ロサンゼルス・キングスのスカウトとして過ごし、同年から1974年までセントルイス・ブルースのGMであった。さらに1974-1975シーズンは、カンザスシティ・スカウツのGMを務めた。

また、1970年代、1980年代を通じレッドウィングス系列のラジオ放送において、コメンテーターであった。

詳細情報

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通算成績

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  レギュラーシーズン プレイオフ
シーズンチームリーグGPGAPtsPIMGPGAPtsPIM
1938-1939デトロイト・レッドウィングスNHL15112061122
1939-1940デトロイト・レッドウィングスNHL241564503321
1940-1941デトロイト・レッドウィングスNHL471122332992242
1941-1942デトロイト・レッドウィングスNHL4818314945124268
1942-1943デトロイト・レッドウィングスNHL49182442331058134
1945-1946デトロイト・レッドウィングスNHL7022030000
1946-1947デトロイト・レッドウィングスNHL601929482931122
1947-1948デトロイト・レッドウィングスNHL60143044691003316
1948-1949デトロイト・レッドウィングスNHL6028265449113366
1949-1950デトロイト・レッドウィングスNHL6934356946146286
1950-1951デトロイト・レッドウィングスNHL692338613064370
1951-1952デトロイト・レッドウィングスNHL6217365332722412
1952-1953シカゴ・ブラックホークスNHL39549610000
1953-1954シカゴ・ブラックホークスNHL30004-----
NHL合計6121892834723769728305879

表彰

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  • オールスター第1チーム選抜(1949年、1950年)
  • オールスター第2チーム選抜(1942年、1951年)
  • ハート記念賞(1949年)

外部リンク

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