ダイナアクトレス

ダイナアクトレス(欧字名:Dyna Actress1983年5月4日 - 2012年3月1日)は、日本競走馬繁殖牝馬[1]。主な勝ち鞍に1985年函館3歳ステークス1987年毎日王冠京王杯オータムハンデキャップ1988年スプリンターズステークス京王杯スプリングカップ

ダイナアクトレス
欧字表記Dyna Actress[1]
品種サラブレッド[1]
性別[1]
毛色黒鹿毛[1]
生誕1983年5月4日[1]
死没2012年3月1日(29歳没)
ノーザンテースト[1]
モデルスポート[1]
母の父モデルフール[1]
生国日本の旗 日本北海道千歳市[1]
生産者社台ファーム[1]
馬主(有)社台レースホース[1]
調教師矢野進美浦北[1]
厩務員馬渕照男
競走成績
タイトルJRA賞最優秀5歳以上牝馬
(1987年・1988年)[1]
生涯成績19戦7勝[1]
獲得賞金3億1550万8700円[1]
勝ち鞍
GII毎日王冠1987年
GIIスプリンターズS1988年
GII京王杯スプリングC1988年
GIII函館3歳S1985年
GIII京王杯オータムH1987年
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1987年1988年JRA賞最優秀5歳以上牝馬に選出された。

馬名は馬主の冠名「ダイナ」に、英語で「女優」を意味する「Actress」を加えたもの。母名モデルスポートからの連想に加え、本馬の共同馬主の1人に女優南田洋子がいたことに由来する[2]

経歴

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生い立ち

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1983年社台ファーム千歳で生まれる。父は当時のリーディングサイアーであるノーザンテースト、母は1978年優駿賞最優秀4歳牝馬モデルスポートという良血馬で、デビュー前から注目を集めていた。一方で幼駒の頃から非常に気性が荒かったといい、当時の馴致担当者であった後藤正俊(競馬ライター)はロデオのように何度も振り落とされ、「見てる人間は『凄いバネだな。これは大物になるぞ』なんて他人事のように笑っているが、乗っている人間はたまったもんじゃない」と述懐している[3]

戦績

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3-4歳(1985-1986年)

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1985年、母と同じ矢野進厩舎に入り、8月11日函館でデビュー。初戦を5馬身差で圧勝すると、続くすずらん賞、函館3歳ステークスをそれぞれ6、5馬身差で制する。函館3歳ステークスの競走後、深管不安により3戦のみでシーズンを終えたが、圧倒的なスピードに、翌4歳シーズンには牡馬相手となる皐月賞東京優駿(日本ダービー)への出走も検討された[4]

迎えた1986年春、前年の最優秀3歳牝馬メジロラモーヌに勝利することを念頭に、陣営は牝馬クラシック路線を選択。桜花賞への前哨戦として、すみれ賞で復帰した。しかし発走前に枠入りを執拗に嫌がり、さらに枠内で後ろ脚を蹴り上げてゲート側面の台に乗り上げ、パニック状態となる[5]。馬体検査の結果、異常なしとされてレースに臨んだが、最下位と大敗した。競走後には枠入り不良を理由に、日本中央競馬会 (JRA) より1ヶ月間の出走停止と調教再審査を言い渡され、桜花賞へ出走する機会を失った。

続く優駿牝馬(オークス)での巻き返しを期して、美浦トレーニングセンターを離れ、オークス開催場の東京競馬場での調整が図られた。しかし馬が環境変化に順応できず、ストレスの掛かるゲート練習が続いたために体調を崩す[6]。メジロラモーヌとの初対戦となったサンスポ賞4歳牝馬特別(オークストライアル)では、同馬から1馬身半差の2着、続く優駿牝馬(オークス)でも同じく3着に敗れ、クラシック制覇は成らなかった。

休養を経ての秋初戦ローズステークスでメジロラモーヌとの3度目の対決になるはずだったが、競走前の最終調教で股関節を痛めて出走を取り消し、そのまま4歳シーズンを終えた。その後メジロラモーヌは史上初の牝馬三冠[注 1]を達成。当年を限りに競走生活から退いている。

5-6歳(1987-1988年)

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半年の休養を経ての復帰戦・京王杯スプリングカップでは9番人気という評価だったが、ニッポーテイオーの2着と好走する。続くGI安田記念では、苦手の重馬場ながら5着と健闘し、健在を示す。しかし1番人気に推された阪急杯では騎手との折り合いを欠き、14着と大敗した。

秋初戦の京王杯オータムハンデキャップで、騎手が岡部幸雄に乗り代わる。ダイナアクトレスはこのレースで、1分32秒2という芝1600メートルの世界タイレコード(当時)を記録し、約2年振りの勝利を挙げた。続く天皇賞(秋)の前哨戦、毎日王冠でも牡馬の一線級を降して重賞2連勝を飾る。しかし本番の天皇賞では重馬場を苦にして8着と敗れた。

次走はジャパンカップに向かったが、古馬の筆頭格であるニッポーテイオーがマイルチャンピオンシップに向かったほか、メリーナイスサクラスターオーといった4歳のクラシック優勝馬もこれを回避したため、上位人気を外国馬が独占し、ダイナアクトレスは9番人気という評価になった。しかし後方待機から直線で追い込み、1番人気のトリプティクなどを抑えて日本馬最先着となる3着となった[注 2]。2番人気に推された有馬記念では7着に敗れるが、牡馬に混じって通年の活躍が評価されて当年の最優秀5歳以上牝馬に選出、母仔二代の年度表彰受賞馬となった。

翌年も現役を続行し、中山競馬場の観客スタンド改修工事のため、東京競馬場1400mで施行された3月のスプリンターズステークス(当時GII)を勝利、続いて前年ニッポーテイオーに敗れた京王杯スプリングカップを、今度は同馬を破って勝利する。しかし安田記念では再びニッポーテイオーの2着に敗れた。秋になって第39回毎日王冠から始動するも、発走直前にシリウスシンボリに蹴飛ばされるというアクシデントもあり、オグリキャップの5着に敗れた[注 3]。天皇賞はタマモクロスの4着と好走、その後は2年連続のジャパンカップ出走が予定されていたが、脚部の疲労が見られたため、この競走を最後に競走馬引退となった。この年は重賞2勝、GI競走の2着1回という成績で、年明けには2年連続の最優秀5歳以上牝馬に選出された。

引退後

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故郷・社台ファームで繁殖生活に入ったダイナアクトレスは、初仔として重賞2勝を挙げたステージチャンプ、2番仔にやはり重賞2勝のプライムステージを送り出し、改めて名牝としての評価を確立した。他の産駒も繁殖として成功を見せており、1993年に出産したランニングヒロインは2008年のジャパンカップ等を制したスクリーンヒーローを、1995年に出産したトレアンサンブルは、2006年の中山大障害、2008年の中山グランドジャンプを制したマルカラスカルを出した。プライムステージの産駒アブソリュートは2009年の東京新聞杯を制し、モデルスポートから母仔4代に渡っての重賞勝利を達成した。また同年10月、名前の由来となった南田洋子が死去した当週には、東京の準メイン競走で孫のトリビュートソングが勝利、メイン競走の富士ステークスでアブソリュートが重賞2勝目を挙げる出来事もあった[7]

ダイナアクトレスは2005年に繁殖牝馬を引退し、以後は社台ファームのスタッフの自宅に引き取られ余生を過ごした[8]

2012年3月1日に死亡[9]。29歳没。正式な訃報は出ておらず、死因は不明である。

競走成績

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年月日レース名頭数人気着順距離(状態タイム3F着差騎手斤量
[kg]
勝ち馬/(2着馬)
19858.11函館3歳新馬5101着芝1000m(良)00:59.0(35.7)5身東信二53(グリーンアデッカ)
9.8函館すずらん賞OP5101着芝1000m(不)01:00.0(36.6)6身東信二53(メイショウタイテイ)
9.22函館函館3歳SGIII9101着芝1200m(良)01:10.3(35.5)5身東信二53(ダイナカンパリー)
19863.22中山すみれ賞OP8208着芝1200m(稍)01:14.0(36.1)4.0秒東信二55ゲイリーマッハ
4.27東京4歳牝馬特別(東)GII15402着芝1800m(良)01:51.0(36.1)0.2秒柴崎勇54メジロラモーヌ
5.18東京優駿牝馬GI22203着芝2400m(良)02:30.3(38.2)0.7秒柴崎勇55メジロラモーヌ
10.12京都ローズSGII13取消芝2000m(良)岩元市三55メジロラモーヌ
19874.26東京京王杯スプリングCGII18902着芝1400m(良)01:22.1(34.5)0.3秒東信二54ニッポーテイオー
5.17東京安田記念GI19405着芝1600m(重)01:36.3(37.7)0.6秒東信二55フレッシュボイス
6.7阪神阪急杯GIII18114着芝1400m(良)01:23.7(37.8)1.4秒岩元市三55セントシーザー
9.13中山京王杯オータムHGIII10101着芝1600m(良)R1:32.2(34.5)3 1/2身岡部幸雄56(アイランドゴッデス)
10.11東京毎日王冠GII12201着芝1800m(良)01:46.1(34.5)アタマ岡部幸雄55(ウインドストース)
11.1東京天皇賞(秋)GI14208着芝2000m(重)02:01.2(36.9)1.5秒岡部幸雄56ニッポーテイオー
11.29東京ジャパンカップGI14903着芝2400m(良)02:25.1(35.2)0.2秒岡部幸雄55ルグロリュー
12.27中山有馬記念GI16207着芝2500m(良)02:34.3(36.1)0.4秒岡部幸雄55メジロデュレン
19883.20東京スプリンターズSGII13101着芝1400m(良)01:21.9(35.2)1 1/2身的場均56(セントシーザー)
4.24東京京王杯スプリングCGII9101着芝1400m(良)01:21.4(35.1)アタマ岡部幸雄56(ニッポーテイオー)
5.15東京安田記念GI12202着芝1600m(良)01:34.4(35.5)0.2秒河内洋55ニッポーテイオー
10.9東京毎日王冠GII11205着芝1800m(稍)01:50.1(36.9)0.9秒岡部幸雄56オグリキャップ
10.30東京天皇賞(秋)GI13304着芝2000m(良)01:59.6(35.3)0.9秒岡部幸雄56タマモクロス
  • タイム欄のRはレコード勝ちを示す。

産駒一覧

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生年馬名毛色戦績
初仔1990年ステージチャンプ黒鹿毛リアルシャダイ32戦4勝
日経賞ステイヤーズS
2番仔1992年プライムステージ黒鹿毛サンデーサイレンス12戦3勝
札幌3歳SフェアリーS
産駒にアブソリュート
3番仔1993年ランニングヒロイン鹿毛2戦0勝
産駒にスクリーンヒーロー
4番仔1995年トレアンサンブル鹿毛トニービン2戦0勝
産駒にマルカラスカル
5番仔1996年ラグタイムサンデー鹿毛サンデーサイレンス8戦1勝
6番仔1997年サイキョウロマン栗毛18戦1勝
7番仔1998年ステージトゥラン栗毛ブライアンズタイム15戦1勝
8番仔1999年アクトナチュラリー栗毛サンデーサイレンス53戦3勝
9番仔2001年セットフレイズ鹿毛エリシオ72戦11勝(うち地方68戦11勝)
10番仔2002年リリックステージ黒鹿毛スペシャルウィーク不出走
11番仔2004年ナンヨーヘブン鹿毛5戦1勝
12番仔2005年ベストロケーション芦毛クロフネ24戦5勝
産駒にベストアクター

評価・特徴

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前述の通り牡馬クラシック出走も検討され、社台グループ総帥の吉田善哉より「ノーザンテーストの最高傑作になるかも知れない」と評された[10]ほどの大器であったが、GI競走に優勝することはできなかった。管理した矢野進は「一度でいいから万全の状態でラモーヌと戦わせてみたかった。あれだけの馬だから、GIのひとつは獲らせてやりたかった[11]」と回想している。

最大の長所として旺盛な闘争心と勝負根性が挙げられる[12]が、気負い過ぎての敗戦もあり、5歳秋以降に手綱を執った岡部幸雄は、自著の中で本馬を「国際級の実力を持つ牝馬」と評した上で、「ちょっとしたことで明暗が分かれかねない紙一重の部分があった」と述べている[13]。また、若駒への教育の重要性を説く材料として取り上げ、「馬それぞれで、競馬を教えることができるタイプと難しいタイプがいるが、アクトレスなど感触としては前者だった[14]」「最初から強い競馬をするのではなく、将来を考えた競馬をさせていれば、アクトレスの競走馬生活はまた違ったものになっていたのではないかと思う[13]」と述べている。

血統表

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ダイナアクトレス血統(血統表の出典)[§ 1]
父系ノーザンテースト系

*ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛
父の父
Northern Dancer
1961 鹿毛
NearcticNearco
Lady Angela
NatalmaNative Dancer
Almahmoud
父の母
Lady Victoria
1962 黒鹿毛
Victoria ParkChop Chop
Victoriana
Lady AngelaHyperion
Sister Sarah

モデルスポート
1975 黒鹿毛
*モデルフール
Model Fool
1963 黒鹿毛
Tom FoolMenow
Gaga
Model JoyWar Jeep
Model Beauty
母の母
*マジックゴディス
Magic Goddess
1968 栗毛
Red GodNasrullah
Spring Run
Like MagicSun Again
Grand League
母系(F-No.)マジックゴディス系(FN:1-s)[§ 2]
5代内の近親交配Nearco 4×5、Lady Angela 4・3(父内)、Menow 4・5(母内)
出典
  1. ^ [15]
  2. ^ [16]

父は11年連続の中央競馬リーディングサイアーを獲得した名種牡馬。母は前述の通り1978年の最優秀4歳牝馬であり、牝馬東京タイムズ杯ダービー卿チャレンジトロフィーを制している。1歳上の全兄に当たるサクラテルノオーは1勝に終わったが、良血を買われて種牡馬となり、1995年の新潟3歳ステークス優勝馬タヤスダビンチなどの産駒がいる。

脚注

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注釈

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  1. ^ 当時は牝馬クラシック2冠(桜花賞・優駿牝馬)に当時は4歳牝馬限定戦であったエリザベス女王杯を加えた3冠(秋華賞は1996年新設)。
  2. ^ 社台グループ総帥の吉田善哉はこの成績を殊の外喜び、以後常々「世界最強牝馬トリプティクに先着したダイナアクトレス」と紹介していた(吉川 388頁。)。
  3. ^ 同じく被害にあったレジェンドテイオーは発走除外となった。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ダイナアクトレス”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年1月27日閲覧。
  2. ^ 『競馬SLG名牝ファイル』18頁。
  3. ^ 『競馬感涙読本』184頁。
  4. ^ 『日本名馬物語』166頁。
  5. ^ 『日本名馬物語』169-170頁。
  6. ^ 『日本名馬物語』170頁。
  7. ^ 『優駿』2009年12月号、p.102
  8. ^ ヒーロー大金星21年かけ雪辱/ジャパンC”. 日刊スポーツ. 2008年12月2日閲覧。
  9. ^ ダイナアクトレス”. 競走馬のふるさと案内所. 2014年5月31日閲覧。
  10. ^ 『日本名馬物語』p.167
  11. ^ 『日本名馬物語』175頁。
  12. ^ 『日本名馬物語』168頁。
  13. ^ a b 岡部 119頁。
  14. ^ 岡部 121頁。
  15. ^ 血統情報:5代血統表|ダイナアクトレス”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2017年3月6日閲覧。
  16. ^ 平出貴昭 (2014年9月17日). “『覚えておきたい日本の牝系100』収録の全牝系一覧”. 競馬“血統”人生/平出貴昭. 2017年3月6日閲覧。

参考文献

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  • サラブレッド探偵局・編『競馬SLG名牝ファイル』(光栄、1994年)ISBN 978-4877191108
  • 吉川良『血と地と知 - 馬、吉田善哉、社台』(ミデアム出版社、1999年)ISBN 4944001592
  • 岡部幸雄『勝負勘』(角川書店、2006年)ISBN 4047100609
  • サラブレ編集部(編)『日本名馬物語 - 甦る80年代の熱き伝説』(講談社、2007年)ISBN 4062810964
  • 『競馬〈感涙〉読本』(宝島社、1998年)ISBN 978-4796694025

外部リンク

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