ダフィー・ルイス

アメリカ合衆国の野球選手 (1888-1979)

ダフィー・ルイス(George Edward "Duffy" Lewis、 1888年4月18日 - 1979年6月17日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身のプロ野球選手左翼手)。右投げ右打ち。

ダフィー・ルイス
Duffy Lewis
基本情報
出身地カリフォルニア州サンフランシスコ
生年月日1888年4月18日
没年月日 (1979-06-17) 1979年6月17日(91歳没)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
165 lb =約74.8 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション外野手
初出場1910年4月16日
最終出場1921年6月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

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カリフォルニア大学セントメリーズ校を卒業後、1909年にパシフィックコーストリーグのオークランドからレッドソックスに入団した。1910年にメジャーデビューし、1年目から151試合に出場、.283の打率を残す。

この年から1915年まで不動のオーダーだったレッドソックスの外野陣(トリス・スピーカーハリー・フーパー、ダフィー・ルイス)は、後に『最強の外野陣』と呼ばれた。当時フェンウェイ・パークのレフトフェンス(現在のグリーンモンスター)の前にあった高さ10フィートほどの丘を、ルイスは自由に上り下りすることができたという。後にこの丘は『ダフィーズ・クリフ(Duffy's Cliff)』と呼ばれるようになった。レッドソックスはルイスの在籍中に3度ワールドシリーズに出場し、いずれもシリーズを制覇している。特に1915年のワールドシリーズでは、ルイスはこの年のレギュラーシーズンで2本だった本塁打をワールドシリーズで放ち、18打数8安打、打率.444で5打点を上げる活躍をした。

チームへの功績の大きかったルイスだが、1918年第一次世界大戦に従軍したためメジャーではプレーせず、その年のオフにダッチ・レナードアーニー・ショアと共にニューヨーク・ヤンキースにトレードされる。ヤンキースには2年在籍したが目だった活躍はできず、1921年にワシントン・セネタースで27試合に出場したのを最後に、メジャーリーグから引退した。

引退後は1932年から1935年まで、ボストン・ブレーブスのコーチを務めていた。1979年にカリフォルニア州セーラムで91歳で死去。2002年にレッドソックス球団の殿堂入り選手となった。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1910BOS15160454164153297822068102732471.283.328.407.734
1911130531469641443247205861123251046.307.355.437.792
19121546675818516536962371099193152376.284.346.408.754
1913149612551541643112021990122930255.298.336.397.734
19141465985105314237922037922312457541.278.357.398.755
1915152634557691623172213761472845463.291.348.382.731
191615262656356151295119356162433456.268.313.343.656
19171506205535516729912176583329554.302.342.392.735
1919NYY1416025596715223472048982617042.272.293.365.658
1920107408365349981412159281624232.271.320.332.651
1921WSH27114102111941025141138110.186.252.245.497
MLB:11年14596016535161215182896838205779111366*26435240546.284.333.384.717

※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。

投手記録

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  • 通算記録:1試合、投球回1.0、被安打3、被本塁打0、自責点2、防御率18.00

獲得タイトル・記録

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  • ワールドシリーズ出場:3回(1912,1915,1916年)
  • シーズン最多犠打数:31(1912年)

関連項目

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外部リンク

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