ダリル・モトリー

ダリル・ドウェイン・モトリー(Darryl DeWayne Motley、1960年1月21日 - )は、アメリカ合衆国オクラホマ州出身の元プロ野球選手外野手)。

ダリル・モトリー
Darryl Motley
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国オクラホマ州
生年月日 (1960-01-21) 1960年1月21日(64歳)
身長
体重
5' 9" =約175.3 cm
196 lb =約88.9 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション外野手
プロ入り1978年 MLBドラフト2巡目
初出場MLB / 1981年8月10日
NPB / 1992年7月1日
最終出場MLB / 1987年5月17日
NPB / 1993年6月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

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高校時代はアメリカ代表に選出。1978年カンザスシティ・ロイヤルズにドラフト2位で入団。1981年にメジャーへ昇格し、1985年にはロイヤルズのワールドシリーズロースター枠にも選ばれている。1986年途中にアトランタ・ブレーブスに移籍。1988年1991年リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルでプレーした[1]

1992年千葉ロッテマリーンズマイク・ディアズに代わる新外国人選手として入団し、6月に来日。7月は4試合連続本塁打を記録し、期待通りの活躍だったが、8月9日西武戦で渡辺久信の投球が左手を直撃し骨折、残りのシーズンを棒に振った。

1993年は新加入のメル・ホールマックス・ベナブルがいた為に、外国人枠の関係で二軍暮らしが続いた。この年は二軍で最多本塁打打点王を獲得するが、一軍ではわずか19試合しか出場できず、この年に退団となった。

ロッテ時代の応援歌の原曲は「みなしごハッチ」で、モトリーの退団後諸積兼司に継承された。

1992年~1993年まで在籍していた同じ外国人選手のマックスとは風貌、体型が似ているとして、「プロ野球珍プレー好プレー大賞」で話題になった[2]

以降は独立リーグに所属し、2002年までプレーした[1]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1981KC4213512515294023981311710152.232.271.312.583
19831972689161233011210121083.235.254.441.695
198414655752264148256152307010122428127323.284.320.441.761
198512340838345852011715849640518225717.222.257.413.670
1986722292172244917762002101101318.203.245.350.595
ATL511101210030000010110.200.333.300.633
'86計7724022723461017792002101202328.203.249.348.597
19876880000001000000010.000.000.000.000
1992ロッテ2510696132041541170001702290.208.274.427.701
19931975666160022232000900153.242.333.333.666
MLB:6年413142013331563246010445361591922411675618653.243.280.402.682
NPB:2年441811621936417632020011602443.222.298.389.687

記録

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NPB

背番号

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  • 4 (1981年)
  • 49 (1983年)
  • 24 (1984年 - 1986年)
  • 6 (1986年 - 1987年)
  • 4 (1992年)
  • 00 (1993年)

脚注

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  1. ^ a b https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=motley002dar
  2. ^ 千葉マリンスタジアム全身タイツを着用した男性4人組による応援の様子が取り上げられた。胸に黒いテープで「マックス」「モトリー」「アイコー」と選手名をカタカナで作り、打者が変わるごとに貼り替えて応援していた。結果はそれぞれ凡打、フォアボールタイムリーヒットであった。

関連項目

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外部リンク

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