ハイレ・ゲブレセラシェ

エチオピアの長距離走者(陸上競技)

ハイレ・ゲブレセラシェアムハラ語: ኃይሌ ገብረ ሥላሴラテン文字転写: haylē gebre silassē 、Haile Gebrselassie、1973年4月18日 - )は、エチオピア陸上選手。専門は長距離走マラソン

ハイレ・ゲブレセラシェPortal:陸上競技
選手情報
フルネームハイレ・ゲブレセラシェ
ラテン文字Haile Gebrselassie
愛称皇帝
国籍エチオピアの旗 エチオピア
競技陸上競技
種目中距離走長距離走マラソン
生年月日 (1973-04-18) 1973年4月18日(51歳)
生誕地エチオピア アルシ地域英語版 アセラ英語版
居住地エチオピア アディスアベバ
身長164cm
体重56kg
自己ベスト
1500m3分33秒73(1999年)
3000m7分25秒09(1998年) エチオピア記録
5000m12分39秒36(1998年)
10000m26分22秒75(1998年)
ハーフマラソン58分55秒(2006年)
マラソン2時間03分59秒(2008年)
獲得メダル
陸上競技
オリンピック
1996 アトランタ10000m
2000 シドニー10000m
世界陸上競技選手権
1999 セビリア10000m
1997 アテネ10000m
1995 イエーテボリ10000m
1993 シュトゥットガルド10000m
2003 パリ10000m
1993 シュトゥットガルド5000m
2001 エドモントン10000m
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彼の名前は「ハイレ」が本人の名前、「ゲブレセラシェ」は姓(ファミリーネーム)ではなく父親の名前(父称)である(人名#その他の文化圏における名前を参照)。その意味では本人を特定するのに「ゲブレセラシェ」と略するのは正しくないが、日本も含めたマスメディアにおいてはこれを姓とみなして表記することが多い。「ゲブレセラシェ」は日本語では「ゲブレシラシエ」とも表記される[1]

経歴・人物

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身長164cmと小柄ながら圧倒的な強さで『皇帝』と呼ばれる、エチオピアの国民的英雄である。5000m10000mハーフマラソンマラソンの元世界記録保持者。

1992年9月18日、世界ジュニア陸上競技選手権大会の10000メートル走において優勝したが、レース中にもかかわらずゴール直前に殴りかかられるという前代未聞の事件の当事者となった。これは、あまりに前に出ずトップの選手にぴったりとくっつく、いわゆるコバンザメのような走法に徹し、なおかつゴール直前に1位の選手を抜き去ったためである。引っ張り役を押しつけられ苛立ったケニア選手(ジョセファト・マチュカ)は、後ろからハイレの背中を殴打して突き飛ばしたが、そのまま2人ともゴールした[2]。なお、この事件によりマチュカは失格となり、順位が繰り上がった渡辺康幸が銅メダルを獲得している。

10000m走において1993年から1999年まで世界陸上4連覇を果たし、1996年アトランタオリンピック2000年シドニーオリンピックでも2連覇。

1998年にはワールド・アスレチック・ガラ年間最優秀選手に選ばれる。

5連覇を狙ったエドモントン世界陸上では、故障明けの影響で銅メダルに終わる。2004年アテネオリンピックは直前の故障による影響で5着に終わり、ロードレースへの転向を宣言する。

マラソン初出走の2002年ロンドンマラソンでは3位に終わったが、2005年、2度目のアムステルダムマラソンでマラソン初優勝を果たした。

2005年には10マイルの世界記録を更新する。2006年はハーフマラソンとIAAF非公認の25km走で世界記録を出す(ハーフマラソンの記録は翌年にサムエル・ワンジルに更新される)。2007年はロンドンマラソンを30kmで途中棄権したが、ベルリンマラソンではトラックでも長年ライバルであるポール・テルガトの世界記録(2時間4分55秒)を破る2時間4分26秒の世界新記録(当時)をマークした。

2008年3月10日、金メダルの最有力候補と目されていた北京オリンピックマラソン競技について、北京市大気汚染が持病の喘息に悪影響を及ぼす恐れがあるとして10000mでの参加に切り替えた[3]。しかし、実際に北京に来ると澄んだ空を見て「北京市の大気の状況は想像以上によく、(マラソン)欠場を後悔している」と述べた[4]

北京オリンピック10000mでは途中先頭に立つ場面もあったものの、第6位に終わった。尚、同種目の第1位と第2位は後輩のケネニサ・ベケレシレシ・シヒネであり、エチオピア勢ワンツーフィニッシュをお膳立てした形になった。

2008年9月28日、ベルリンマラソンに出場、自らが保持するマラソン世界記録を新たに塗り替える2時間3分59秒のタイムで優勝した。この記録は、2011年のベルリンマラソンにてパトリック・マカウに抜かれるまで世界記録として君臨した。

2010年には毎年1月に行われるドバイマラソンの3連覇を達成。同マラソンでは世界記録達成者に100万ドルのボーナスが支払われることになっているが、自らの記録は抜けず、ボーナス獲得には至らなかった[1]。同年11月7日に行われたニューヨークシティーマラソンでは25キロ付近で右膝の不調のため棄権した。

ハイレのマラソン世界最高記録

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5km10km15km20kmハーフ25km30km35km40kmゴール
タイム14:4429:2744:1659:101:02:291:14:051:28:561:43:381:58:082:04:26
スプリット14:4414:4314:4914:5414:5514:5114:4214:306:18
5km10km15km20kmハーフ25km30km35km40kmゴール
タイム14:3529:1344:0358:501:02:051:13:411:28:271:43:051:57:342:03:59
スプリット14:3514:3814:5014:4714:5114:4614:3814:296:25

主な成績

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マラソン戦績
大会開催国成績タイム
2002ロンドンマラソン イギリス3位2:06:35
2005アムステルダムマラソン オランダ優勝2:06:20
2006ロンドンマラソン イギリス9位2:09:05
2006ベルリンマラソン ドイツ優勝2:05:56
2006福岡国際マラソン 日本優勝2:06:52
2007ロンドンマラソン イギリスDNF-
2007ベルリンマラソン ドイツ優勝2:04:26(世界新)
2008ドバイマラソン アラブ首長国連邦優勝2:04:53
2008ベルリンマラソン ドイツ優勝2:03:59(世界新)
2009ドバイマラソン アラブ首長国連邦優勝2:05:29
2009ベルリンマラソン ドイツ優勝2:06:08
2010ドバイマラソン アラブ首長国連邦優勝2:06:09
2010ニューヨークシティマラソン アメリカ合衆国DNF-
2011東京マラソン 日本DNS-
2011ベルリンマラソン ドイツDNF-
2012東京マラソン 日本4位2:08:17
2012福岡国際マラソン 日本DNF-

脚注

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外部リンク

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先代
サイド・アウィータ
男子5000m競走世界記録保持者
1994/6/4 - 1995/6/6
次代
モーゼス・キプタヌイ
先代
モーゼス・キプタヌイ
男子5000m競走世界記録保持者
1995/8/16 - 1997/8/22
次代
ダニエル・コーメン
先代
ダニエル・コーメン
男子5000m競走世界記録保持者
1998/6/13 - 2004/5/31
次代
ケネニサ・ベケレ
先代
ウィリアム・シゲイ
男子10000m競走世界記録保持者
1995/6/5 - 1996/8/23
次代
サラ・ヒスー
先代
サラ・ヒスー
男子10000m競走世界記録保持者
1997/8/4 - 1997/8/22
次代
ポール・テルガト
先代
ポール・テルガト
男子10000m競走世界記録保持者
1998/6/1 - 2004/6/8
次代
ケネニサ・ベケレ
先代
サムエル・ワンジル
男子ハーフマラソン世界記録保持者
2006/1/15 - 2007/2/9
次代
サムエル・ワンジル
先代
ポール・テルガト
男子マラソン世界記録保持者
2007/9/30 - 2011/9/25
次代
パトリック・マカウ