リッジウッドパール

リッジウッドパール (Ridgewood Pearl) はイギリスで産まれたアイルランドの競走馬。世界4カ国で4つのマイルG1に勝利した。1995年カルティエ賞年度代表馬、最優秀3歳牝馬。

リッジウッドパール
アン・コクラン夫人の勝負服
欧字表記Ridgewood Pearl
品種サラブレッド
性別
毛色栗毛
生誕1992年
死没2003年
Indian Ridge
Ben's Pearl
生国アイルランドの旗 アイルランド
生産者Sean Coughlan (イギリス)
馬主Anne Coughlan
調教師John Oxx (アイルランド)
競走成績
生涯成績8戦6勝
テンプレートを表示

経歴

編集

デビューは1994年9月のスプリント戦タワーステークスで、デビュー戦では3着と敗れたが、距離を伸ばした2戦目のウェルドパークステークスで初勝利を挙げた。初勝利後はアサシステークスを7馬身差で圧勝、G1の舞台でもアイリッシュ1000ギニー1着、コロネーションステークス1着と連勝して同世代の牝馬を圧倒し、更には古馬や牡馬に混じってムーラン・ド・ロンシャン賞にも勝利した。しかし5連勝で臨んだクイーンエリザベス2世ステークスでは1番人気を裏切り、バーリに6馬身差をつけられる完敗でマイルカテゴリにおける生涯唯一の敗戦を経験した。その後は渡米してベルモントパーク競馬場ブリーダーズカップ・マイルに出走、1番人気に応えて2馬身差で快勝した。

1995年は6戦5勝2着1回G1競走4勝という成績で、カルティエ賞最優秀3歳牝馬に選ばれるとともに、年度代表馬にも選出された。しかし1995年にはリッジウッドパールの他にも年間無敗でダービーステークスキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス凱旋門賞を勝利したラムタラがおり、リッジウッドパールの年度代表馬選出は物議を醸した。(詳細はラムタラを参照)

引退後は繁殖入りし、母として1997年、98年、02年に仔を産んだ。2003年バーリの仔を死産した際の出血が原因で死亡した。

競走成績

編集
出走日競馬場競走名距離着順騎手着差1着(2着)馬
1994.09.11カラタワーS準重賞芝6f3着C.ロシェ1馬身Viaticum
1994.09.25カラウェルドパークSG3芝7f1着J.ムルタ-(Oh'Cecilia)
1995.04.22カラアサシS準重賞芝7f1着J.ムルタ7馬身(One false Move)
1995.05.27カラ愛1000ギニーG1芝8f1着C.ロシェ4馬身(Warning Shadows)
1995.06.21アスコットコロネーションSG1芝8f1着J.ムルタ2馬身(Smolensk)
1995.09.03ロンシャンムーラン・ド・ロンシャン賞G1芝1600m1着J.ムルタ3/4馬身(Shaanxi)
1995.09.23アスコットクイーンエリザベス2世SG1芝8f2着J.ムルタ6馬身Bahri
1995.10.28ベルモントパークBCマイルG1芝8f1着J.ムルタ2馬身(fastness)

血統表

編集
リッジウッドパール血統クラリオン系/Discipliner 5×5=6.25%(父内))(血統表の出典)

Indian Ridge
1985 栗毛
父の父
Ahonoora
1975 栗毛
LorenzaccioKlairon
Phoenissa
Helen NicholsMartial
Quaker Girl
父の母
Hillbrow
1975 栗毛
Swing EasyDelta Judge
Free Flowing
Golden City*スカイマスター
West Shaw

Ben's Pearl
1985 鹿毛
*タップオンウッド
Tap On Wood
1976 栗毛
SallustPall Mall
Bandarilla
Cat o'MountaineRagusa
Marie Elizabeth
母の母
Joshua's Daughter
1973 鹿毛
JoshuaWelsh Rake
Charybdis
Legal Love*キングスベンチ
Mareeba F-No.14-a

外部リンク

編集