リュウファーロス

リュウファーロス(欧字名:Ryu Pharos1963年5月15日 - 1988年5月30日)は、日本競走馬種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1966年阪神大賞典1967年産経大阪杯1968年日本経済新春杯スワンステークス

リュウファーロス
欧字表記Ryu Pharos[1]
品種サラブレッド[1]
性別[1]
毛色鹿毛[1]
生誕1963年5月15日[1]
死没1988年5月30日(26歳没・旧表記)
ヒンドスタン[1]
ドルガ[1]
母の父ガルカドール[1]
生国日本の旗 日本北海道浦河町[1]
生産者三好牧場[1]
馬主三好諦三[1]
調教師橋本正晴栗東[1]
競走成績
生涯成績23戦10勝[1]
獲得賞金4611万6700円[1]
勝ち鞍阪神大賞典(1966年)
サンケイ大阪杯(1967年)
日本経済新春杯(1968年)
スワンS(1968年)
[1]
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競走馬時代

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「リュウ」の冠名を持つ馬が多く所属していた橋本正晴厩舎に入り、厩舎の主戦騎手である宮本悳の騎乗により1965年10月13日京都競馬場の新馬戦に圧倒的な1番人気で出走したが、のちの皐月賞馬であるニホンピローエースに9馬身の差を付けられた2着に敗れてしまった。次の新馬戦は楽勝したが、次の特別戦で再びニホンピローエースの2着に敗れ、第17回阪神3歳ステークスに出走したものの、今度は3着となってニホンピローエースとは大きな差が付いてしまい、さらに脚部不安を発症したため、春のクラシックシーズンを棒に振ってしまった。

4歳秋に復帰すると、本来の実力を発揮して3連勝を挙げ、何とか間に合った第27回菊花賞に出走した。秋の上がり馬という事で4番人気に支持されたものの、7着に敗れた。しかし、続く阪神競馬場での古馬混合のオープン戦「改築記念」で勝利すると、続く第14回阪神大賞典でも、前年の皐月賞馬チトセオーらを下して3分16秒0のレコードタイムで快勝し、名実共に関西の一流オープン馬の座を獲得した。

1967年、5歳になったリュウファーロスは、前走より僅か16日後の金杯に出走したが3着に敗れ、休養を挟んで出走したオープンでも3着になったが、第11回サンケイ大阪杯では、ニホンピローエースやバリモスニセイを退けて再びレコード勝ちを収め、第55回天皇賞(春)に5番人気で出走したが、見せ場も無くスピードシンボリの10着に敗れてしまった。

秋まで休養に入ったリュウファーロスは、第56回天皇賞(秋)を目標に10月に復帰し、中山競馬場でのオープン戦を2戦して共に2着となり、東京競馬場改修工事のために中山競馬場で行われた天皇賞では1番人気に支持されたが、先に抜け出したカブトシローを捕まえられず、ネイチブランナーも交わせず3着に敗れ、続く第12回有馬記念では、向正面で一気に先頭に踊り出たカブトシローを必死に追ったものの、6馬身差の2着に終わった。

1968年、6歳最初の競走として3番人気で出走した日本経済新春杯では、59kgのハンデを背負いながらもヤマピットフイニイを退けて快勝し、続く第11回スワンステークスとオープンも勝利し、3連勝で再び天皇賞に挑戦した。

しかし、第57回天皇賞(春)競走当日の馬場は重馬場で、道悪の苦手なリュウファーロスにとっては厳しく、重馬場得意のヒカルタカイの6着に敗れ、馬体のコズミも酷くなった事から、再び秋まで休養に入った。

秋の復帰戦として第3回ハリウッドターフクラブ賞に出走したリュウファーロスは、直線先頭に立ったマーチスを追って2番手に上がるも、少しばてて手前を変えようとした瞬間、馬場に脚を取られて故障を発症、急減速して2頭に抜かれ4着入線すると、故障を確認した宮本騎手は直ぐに馬を止めて降りた。

診断の結果、右前脚第一指節及び種子骨骨折、指管節不全脱臼の重傷であったが、安楽死処分は免れ、治療を兼ねて自厩舎で静養した後、翌年に牧場に戻り種牡馬となる事が出来た[注 1]

競走成績

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種牡馬時代

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競走馬生活を離れ種牡馬となってからは、自身が勝てなかった阪神3歳ステークスを制したリュウキコウを筆頭に、アンドレアモンなどを輩出し、そのうちアンドレアモンとリユウドルガ(中央4勝)は種牡馬となった。1988年5月30日に死亡した[2]

主な産駒

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血統表

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リュウファーロス血統ボワルセル系 / Tourbillon (Diademe) 4×4=12.50%、Gainsborough 4×5×5=12.50%)(血統表の出典)

*ヒンドスタン
Hindostan
1946 黒鹿毛 イギリス
父の父
Bois Roussel
1935 黒鹿毛 フランス
VatoutPrince Chimay
Vasthi
Plucky LiegeSpearmint
Concertina
父の母
Sonibai
1939 黒鹿毛 イギリス
SolarioGainsborough
Sun Worship
UdaipurBlandford
Uganda

*ドルガ
Dolga
1955 栗毛 フランス
*ガルカドール
Galcador
1947 栗毛 フランス
DjebelTourbillon
Loika
PharyvaPharos
Souryva
母の母
Callixene
1943 フランス
JockAsterus
Naic
AlbarelleKantar
Diademe F-No.13-c


脚注

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注釈

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  1. ^ この競走ではアポオンワードも故障したが、こちらはリュウファーロス以上の重傷で予後不良の診断となり、安楽死処分となった。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p リュウファーロス”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年11月1日閲覧。
  2. ^ リュウファーロス(JPN) - 血統書サービス、2022年11月1日閲覧。

参考資料

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  • 「続栄光の名馬・ターフに生きた名血24頭」(山野浩一、明文社、1981年)
  • 「週刊競馬ブック・昭和43年10月26・27日号」(競馬ブック、1968年)

外部リンク

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