レッツゴーターキン

日本の競走馬・種牡馬

レッツゴーターキン[1]日本競走馬および種牡馬1992年単勝11番人気ながら天皇賞(秋)を勝った[4]。祖母は優駿牝馬の勝ち馬であるシャダイターキン[2]主戦騎手は最初は小島貞博、途中から大崎昭一

レッツゴーターキン
欧字表記Let's Go Tarquin[1]
品種サラブレッド[1]
性別[1]
毛色鹿毛[1]
生誕1987年4月26日
死没2011年1月30日(24歳没)
ターゴワイス[1]
ダイナターキン[1]
母の父ノーザンテースト[1]
生国日本の旗 日本(北海道早来町)[1]
生産者社台ファーム早来[1]
馬主(株)日本ダイナースクラブ[1][2]
調教師橋口弘次郎栗東[1]
厩務員山本国雄[3]
競走成績
生涯成績33戦7勝[1]
獲得賞金3億7295万円[1]
勝ち鞍
GI天皇賞(秋)1992年
GIII小倉大賞典1991年
GIII中京記念1991年
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生涯

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※競走馬時代の年齢はすべて旧表記(数え年)にて表記

デビュー前

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1987年4月26日社台ファーム早来に生まれる。カラスの鳴き声を聞いただけで暴れまわる極度に臆病な性格の持ち主で、調教では前のめりになったり反り返るなどして騎乗する者を手こずらせた[5]栗東トレーニングセンター橋口弘次郎厩舎に入厩してからも、騎乗する者が鞭を持ち替えただけで驚く素振りを見せて放馬するなどした[6]

3-4歳 (1989年-1990年)

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1989年12月に競走馬としてデビュー。未勝利を脱出するのに4戦を要したが距離を伸ばす毎に好走していき、やがて500万下条件を抜け出すと初重賞挑戦となった中日スポーツ賞4歳ステークスでは単勝11番人気ながら2着に入り、波乱を演出する。その後は嵐山ステークスを始め好走する競走もあったが勝ち切れない競走が続く。

5-6歳 (1991年-1992年)

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古馬になると初戦の小倉大賞典で重賞初勝利を挙げ続く中京記念も制し重賞を連勝する。しかしその後は不振に陥り7戦連続惨敗を喫してしまう。

1992年からは主戦を大崎に交代するが、橋口と大崎は同じ宮崎県出身で学年も1つ違い、橋口は大崎のファンでもあった。郷土意識が強く、また友人を大切にする情の熱い人物でもある[7]橋口であったが、レッツゴーターキンに騎乗依頼をする際に電話をかけようとした時は猛烈に緊張してしまい、結局調教助手に任せたと、後に語っている。

大崎はレッツゴーターキンと初めて会った時に坂路で鍛えられた異様な筋肉に目を見張ったが、体が柔らかさと唸るような息吹に強い印象を持った[8]。最初はノド鳴りかと思うほどであったが、坂路調教で吐く力と心臓が強くなり、凄い肺活量をしていた[8]。谷川岳Sをそれまでの不調が嘘のように好走し、クビ差で1年1ヶ月振りの勝利を飾る[8]。大崎はテン乗りで谷川岳Sを勝つと[7]、続く新潟大賞典では惨敗してしまうもののテレビ愛知賞では2着、小倉日経賞5着を挟み、北九州記念小倉記念とも2着に入り[7]、福島民報杯を制して天皇賞に名を連ねた[7]。大崎は騎乗していくうちに少しずつレッツゴーターキンの癖を掴んでいき、引っ掛かるところはないが、途中で息を抜くことがあるため、その前に鞭で気合を付けてやらないと走らないところを掴む[9]。馬込みは嫌わず、単騎で行くよりも、周りを囲まれていた方がむしろ好走するタイプであることも掴んだ[9]。決め手に鋭さはないながら長くいい脚を使うが、スタートの悪さが最大の欠点であった[9]。福島民報杯は例のごとくスタートが悪く、スタート直後は最後方からの競馬となったが、2コーナーで6番手、3コーナーでは一気に4番手まで位置を回復[9]。唸るように上がっていくと、最後は36秒5の脚を使い、2着馬に3馬身半差を付けて圧勝[9]

大崎が「天皇賞へ行こう」と陣営に助言し、迎えた天皇賞(秋)では前走を勝利したとはいえトウカイテイオーナイスネイチャなどの一線級に比べると明らかに評価が劣っており、単勝11番人気に甘んじていた[10]。本馬場入場ではイレ込むレッツゴーターキンを上手く宥めて本馬場をゆっくりと逆回りし、初めての東京コースを歩いてよく見せた[11]。大歓声の中で興奮していたが、返し馬では掛かるというほどではなく、大崎が手綱を引くと、素直に止まった。大崎はそれで少し油断してしまい、ゲート手前でトモを蹴り上げられて落とされてしまったが、無事に騎乗を再開[12]。この時の大崎はトウカイテイオーやナイスネイチャをそれほど意識せず、イクノディクタスを最も警戒していた[11]。レースはメジロパーマーダイタクヘリオスが先手を主張、これに1番人気で15番枠のトウカイテイオーが続いた[7]。前半1000m通過は57秒5という超ハイペースを、2番という絶好枠を得たレッツゴーターキンは後方から自分のペースで走り、インコースを通ったトウカイテイオーがバテた瞬間、大外から満を持してスパートして勝った[7]。これに続いた2着馬ムービースターの鞍上が武豊であったのも、騎手のペース配分がレース結果を左右することを物語っており、大舞台で久しぶりに大崎の勝負勘が冴えた[7]。開業11年目で初GIを制した橋口[13]、は信頼を強め、後にダンスインザダークハーツクライワンアンドオンリーなど有力馬が集まるようになった[7]。一方の大崎は騎乗数も復活したが、11年ぶりのGI制覇が最後のGI制覇となった[7]。単勝11番人気のレッツゴーターキンと単勝5番人気のムービースターという組み合わせで馬連は実に1万7220円の大波乱、場内は騒然としていた[4]

GI馬となったレッツゴーターキンはその後ジャパンカップ有馬記念と出走するが共に8着、4着と敗戦。

1993年阪神大賞典に出走するも5着に終わり、レース中に故障していたことが判明し[13]、目標の天皇賞(春)を前に現役を引退。

引退後

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引退後は新ひだか町レックススタッドで種牡馬入りしたが、1996年に3頭に種付けしたのを最後にけい養先を転々[14]とする。幕別町の十勝軽種馬農協種馬所、同町の新田牧場などを経て、一時はその消息が掴めなかったが[14]1997年より同町のサンライズステイブルで繋養され、1997年頃にはと共に飼われていた[14]。天皇賞の勝利がフロックであると見られたこと、あまり主流でない血統であることなどが災いし、初年度の種付け数が25頭にとどまるなど人気が出なかった。さらには受精能力が低く、生涯の受胎率は5割を割り込み、生まれた産駒も血統登録にすら至らないケースが目立つなどで、出走にこぎつけたのは生産頭数のさらに半数ほどであった。結果として、特筆すべき産駒は出せなかった。

2008年に種牡馬を引退し、以後は同ステイブルで功労馬として余生を送っていた。2011年に入ってまもなく体調を崩し、一時は小康状態を保ったものの食欲が回復せず衰弱し、1月30日朝に死亡した[13][15][16]。直接の死因は心不全であるという。

競走成績

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以下の内容は、netkeiba.com[17]、JBISサーチ[18]に基づく。

年月日競馬場競走名距離(馬場)


オッズ(人気)着順タイム
(上り3F/4F
着差騎手斤量
(kg)
勝ち馬/(2着馬)
1989.12.10阪神3歳新馬芝1400m(良)146913.8(6人)13着1:27.6 (49.6)-3.3小島貞博54セトホウザン
0000.12.23阪神3歳新馬芝1400m(良)164822.5(9人)6着1:25.8 (49.5)-1.1小島貞博54メインステイ
1990.01.13京都4歳未勝利ダ1800m(良)123311.0(5人)8着1:57.6 (53.0)-2.5小島貞博55ヤマニンマックス
0000.04.01阪神4歳未勝利芝1600m(重)182439.2(12人)1着1:39.6 (50.5)-0.2小島貞博55(ラッキーデイ)
0000.04.15中山山吹賞500芝2200m(良)105513.9(7人)3着2:17.8 (36.6)-0.8河内洋55ヤマショウプリンス
0000.04.29京都4歳500万下芝2400m(稍)1081002.9(2人)2着2:32.5 (48.4)-0.0河内洋55オギサンフォード
0000.05.20阪神4歳500万下芝2200m(良)117802.8(1人)4着2:19.1 (53.0)-0.6小島貞博55ブルーメモリ
0000.06.10阪神4歳500万下芝2000m(稍)1281204.2(2人)1着2:04.6 (49.2)-0.1小島貞博55(ワンダーレッスル)
0000.07.01中京中日スポーツ賞4歳SGIII芝1800m(不)122254.7(11人)2着1:48.5 (36.7)-0.0小島貞博54ロングアーチ
0000.09.23中京神戸新聞杯GII芝2000m(良)121106.8(4人)4着2:00.5 (35.6)-0.2小島貞博56センターショウカツ
0000.10.13京都嵐山S1500芝3000m(稍)98803.5(2人)4着3:06.8 (48.5)-0.4小島貞博55ミスターアダムス
0000.11.04京都菊花賞GI芝3000m(良)174830.2(9人)11着3:08.2 (49.0)-2.0角田晃一57メジロマックイーン
0000.12.16京都オリオンS1500芝2400m(良)146906.4(3人)3着2:25.7 (48.3)-0.1小島貞博55マッハシチー
1991.01.12京都万葉S1500芝3000m(良)13610出走取消小島貞博56メイショウビトリア
0000.02.17小倉小倉大賞典GIII芝1800m(良)1681506.9(3人)1着1:49.6 (36.5)-0.0小島貞博53メインキャスター
0000.03.17小倉中京記念GIII芝2000m(稍)162405.3(3人)1着2:01.6 (36.8)-0.1小島貞博55ラッキーゲラン
0000.04.14京都陽春SOP芝1600m(稍)135702.6(1人)6着1:34.8 (47.6)-0.3小島貞博57ワイドバトル
0000.05.12新潟新潟大賞典GIII芝2200m(良)92203.8(2人)9着2:16.0 (48.6)-1.7小島貞博57.5トウショウバルカン
0000.12.07阪神阪神競馬場新装記念OP芝1600m(良)161118.4(5人)12着1:37.8 (50.6)-1.7小島貞博58ダイユウサク
1992.01.05京都金杯(西)GIII芝2000m(良)162421.9(10人)12着2:03.4 (46.5)-1.2小島貞博57ホワイトアロー
0000.01.26京都日経新春杯GII芝2200m(良)1271047.7(11人)12着2:17.1 (48.7)-1.9小島貞博57カミノクレッセ
0000.02.23小倉小倉大賞典GIII芝1800m(良)163528.7(11人)6着1:50.0 (36.9)-0.3佐藤哲三57ワイドバトル
0000.03.28中山マーチSOP芝1600m(稍)105507.7(5人)5着1:35.6 (36.3)-0.5岸滋彦57マイネルヨース
0000.04.26新潟谷川岳SOP芝1600m(良)133313.9(7人)1着1:34.7 (47.3)-0.1大崎昭一57(ハヤブサオーカン)
0000.05.17新潟新潟大賞典GIII芝2200m(良)1381316.7(8人)13着2:15.8 (50.0)-2.4大崎昭一58メジロパーマー
0000.06.27中京テレビ愛知賞OP芝2000m(良)123306.4(4人)2着2:00.4 (35.5)-0.5大崎昭一57ワンダーレッスル
0000.07.19小倉小倉日経賞OP芝1700m(良)127904.4(2人)5着1:41.6 (34.7)-0.2大崎昭一57ヌエボトウショウ
0000.08.09小倉北九州記念GIII芝1800m(稍)136818.1(6人)2着1:41.6 (34.7)-0.2大崎昭一58ヌエボトウショウ
0000.08.30小倉小倉記念GIII芝2000m(良)107804.3(2人)2着2:01.0 (37.5)-0.0大崎昭一58.5イクノディクタス
0000.10.11福島福島民報杯OP芝2000m(良)92202.0(1人)1着2:01.4 (37.0)-0.5大崎昭一58(センゴクヒスイ)
0000.11.01東京天皇賞(秋)GI芝2000m(良)181234.2(11人)1着1:58.6 (36.6)-0.2大崎昭一58ムービースター
0000.11.29東京ジャパンカップGI芝2400m(良)143428.7(11人)8着2:26.6 (37.9)-2.0大崎昭一57トウカイテイオー
0000.12.27中山有馬記念GI芝2500m(良)164732.3(10人)4着2:33.7 (34.8)-0.2大崎昭一56メジロパーマー
1993.03.14阪神阪神大賞典GII芝3000m(良)1181114.3(4人)5着3:11.2 (51.5)-2.0大崎昭一59メジロパーマー

血統

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レッツゴーターキン血統(血統表の出典)[§ 1]
父系ラウンドテーブル系
[§ 2]

*ターゴワイス
Targowice
1970 黒鹿毛
父の父
Round Table
1954 鹿毛
PrincequilloPrince Rose
Cosquilla
Knight's DaughterSir Cosmo
Feola
父の母
Matriarch
1964 黒鹿毛
Bold RulerNasrullah
Miss Disco
LyceumBull Lea
Colosseum

ダイナターキン
1979 鹿毛
*ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛
Northern DancerNearctic
Natalma
Lady VictoriaVictoria Park
Lady Angela
母の母
シャダイターキン
1966 鹿毛
*ガーサントBubbles
Montagnana
ブラックターキン*ブラツクウヰング
*フオルカー
母系(F-No.)フォルカー系(FN:13-c)[§ 3]
5代内の近親交配Nearco 5×5、Lady Angela 5・4(母系)[§ 4]
出典
  1. ^ [19]
  2. ^ [20]
  3. ^ [2][19]
  4. ^ [19][20]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n レッツゴーターキン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月11日閲覧。
  2. ^ a b c d e 『優駿』1993年1月号、日本中央競馬会、139頁
  3. ^ 優駿』2011年6月号 143頁
  4. ^ a b 『優駿』1993年1月号、日本中央競馬会、136-137頁
  5. ^ 吉川2003、28-29頁。
  6. ^ 吉川2003、34頁。
  7. ^ a b c d e f g h i 「調子どう?」ファンの声掛けに応えたら…ダービー2勝の名ジョッキー大崎昭一を襲った“悲劇の冤罪事件”とは
  8. ^ a b c 柴田哲孝「伝説のバイプレイヤー 歴史に残らなかった馬が残した物語」(1998年5月 ベストセラーズISBN 458418321X、p211。
  9. ^ a b c d e 柴田、p212。
  10. ^ 乱ペースで豪快に追い込む 1992年 レッツゴーターキン”. 天皇賞(秋) 歴代優勝馬ピックアップ. JRA-VAN. 2019年10月11日閲覧。
  11. ^ a b 柴田、p205
  12. ^ 柴田、pp205-206
  13. ^ a b c 92年の天皇賞・秋V レッツゴーターキン逝く”. スポニチアネックス - ギャンブル. スポーツニッポン (2011年2月1日). 2019年10月11日閲覧。
  14. ^ a b c 柴田、p219
  15. ^ レッツゴーターキンが病気のため24歳で死亡 [News]”. 中央競馬実況中継 競馬実況web. 日経ラジオ社 (2011年1月31日). 2019年10月11日閲覧。
  16. ^ 天皇賞馬レッツゴーターキン死ぬ”. 日刊スポーツ (2011年1月31日). 2019年10月11日閲覧。
  17. ^ レッツゴーターキンの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年10月11日閲覧。
  18. ^ レッツゴーターキン 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月11日閲覧。
  19. ^ a b c 血統情報:5代血統表|レッツゴーターキン|JBISサーチ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2015年6月19日閲覧。
  20. ^ a b c レッツゴーターキンの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年10月11日閲覧。
  21. ^ 吉川2003、29-30頁。

参考文献

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  • 吉川良『人生をくれた名馬たち』毎日コミュニケーションズ〈MYCOM競馬文庫〉、2003年。ISBN 4839912270 

外部リンク

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