中村国昭

日本のプロ野球選手 (1947-)

中村 国昭(なかむら くにあき、1947年2月28日 - )は、大分県津久見市出身の元プロ野球選手内野手)。

中村 国昭
基本情報
国籍日本の旗 日本
出身地大分県津久見市
生年月日 (1947-02-28) 1947年2月28日(77歳)
身長
体重
180 cm
77 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション内野手
プロ入り1969年 ドラフト外
初出場1970年4月12日
最終出場1979年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

来歴・人物

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津久見高では1963年、2年生の時に三塁手として、エース高橋直樹を擁し第45回全国高等学校野球選手権大会に出場。1回戦で中京商に3-4で惜敗した。高校同期に池田重喜投手がいる。

高校卒業後は、池田とともに社会人野球日本鉱業佐賀関に入団。1966年プロ野球第一次ドラフト会議読売ジャイアンツから5位指名されるもこれを拒否し、会社に残留する。1967年都市対抗野球に出場し、1回戦で電電東北を降す。しかし2回戦で日本コロムビアに9回2死から逆転サヨナラ負け。

1969年オフにアトムズドラフト外で入団。

ヤクルト時代

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1970年は開幕から七番打者、三塁手として先発出場(ヤクルト球団の「新人野手開幕試合スタメン」はこれ以降、2010年荒木貴裕まで現れなかった)を果たす。しかし打撃面で伸びず、5月には城戸則文らにポジションを譲った。。

1972年二塁手として44試合に先発。

1973年には武上四郎の故障もあり、開幕から二塁手として起用され91試合に先発出場。

1974年には武上が復帰したが、一塁手も兼ね自己最多の9本塁打を放つ。

1975年も内野のユーティリティプレイヤーとして110試合に出場した。

日本ハム時代

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1978年三浦政基との交換トレードで、日本ハムファイターズに移籍。同年は二塁手として44試合に先発するが、打撃面で振るわず。

1979年限りで現役を引退した。

その後、2005年に故郷である大分に社会人野球クラブチーム大分ソーリンズ野球倶楽部を結成し、監督に就任した。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1970ヤクルト3276713111101460110301192.155.200.197.397
197149978782340336140040600222.264.312.414.726
1972631781482239714602355542100364.264.347.405.752
1973121336300276410048621271412100567.213.264.287.551
197490304266376311291052764113501625.237.327.395.721
1975110365329288911341182668632512543.271.323.359.682
1976571901681937111153901511402244.220.286.315.602
19773689828143032660210610115.171.227.317.544
1978日本ハム661751551627502381230411401351.174.246.245.491
197911990100010000000010.111.111.111.222
通算:10年6351819161516836863830537144222841111452732033.228.292.333.625

背番号

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  • 44 (1970年 - 1975年)
  • 9 (1976年 - 1977年)
  • 26 (1978年 - 1979年)

関連項目

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