善福寺 (東京都港区)
東京都港区にある寺院
善福寺(ぜんぷくじ)は、東京都港区元麻布一丁目にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は麻布山(あざぶさん)。「麻布山善福寺」あるいは単に「麻布山」と呼ばれることもある。東京都内では、浅草寺、深大寺に次ぐ古刹の一つで、境内には著名人の墓も多い。浄土真宗関東七大寺の一つ。
善福寺 | |
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![]() 勅使門(中門) | |
所在地 | 東京都港区元麻布一丁目6番21号 |
位置 | 北緯35度39分12.8秒 東経139度43分58.1秒 / 北緯35.653556度 東経139.732806度座標: 北緯35度39分12.8秒 東経139度43分58.1秒 / 北緯35.653556度 東経139.732806度 |
山号 | 麻布山(あざぶさん)[1] |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来[1] |
創建年 | 伝・天長元年(824年) |
開基 | 伝・空海 |
中興 | 了海[1] |
正式名 | 麻布山善福寺 |
別称 | 銀杏御坊、麻布山 |
文化財 | 木造了海坐像(重要文化財)、ハリス記念碑(アメリカ公使館跡)、逆さいちょう(天然記念物) |
法人番号 | 3010405001399 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5a/Azabusan_Zempukuji.jpg/220px-Azabusan_Zempukuji.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e3/Zempukuji_Temple_Entrance.jpg/220px-Zempukuji_Temple_Entrance.jpg)
歴史
編集天長元年(824年)に空海(弘法大師)によって開山されたと伝え、当初は真言宗の寺院であった。
鎌倉時代に、越後国に配流になっていた親鸞が当寺を訪れ、弟子の了海によって浄土真宗に改宗した。
その後、各時代の天皇や幕府などの保護を受けて発展を遂げた。
安政5年(1859年)には日米修好通商条約に基づき当寺院内がタウンゼント・ハリスら一行の宿舎となり、一室が初代アメリカ合衆国公使館として使われ、帰国の際には謝礼として100両が寺に支払われた[2]。1861年にはハリスの通訳ヒュースケンが公使館へ戻る際に暗殺され、善福寺内に運ばれ亡くなった。また、福澤諭吉も出入りしていた。
また、善福寺付近の集落は、門前が慶安5年(1652)に正式に門前町家として認められて善福寺門前元町と呼ばれたが、明治2年(1869)に麻布山善福寺の山をとって山元町(現・麻布十番2・3、元麻布1)と改称し、同様に、善福寺の東側に当たる善福寺門前東町は麻布東町(現・南麻布一丁目)に、西側は麻布西町(現・元麻布一・二丁目)と改称された[3]。
施設・史跡
編集- 福澤諭吉の墓 - 福澤は慶應義塾大学の創設者。2月3日は福澤の命日に当たり、(雪池忌(ゆきちき)と呼ばれている)慶應義塾の関係者らが多数当寺院にある福澤の墓所を訪れる。福澤の墓が当寺に移ったのは1977年で、それ以前は品川区上大崎の常光寺にあった。
- 越路吹雪の碑 - 昭和時代の歌手・越路吹雪の歌碑がある。芸能関係者らが訪れることもあり、その姿が報道されることもある。越路の代表曲である「愛の讃歌」の歌詞も刻まれている。なお、越路の墓所は、当寺院ではなく川崎市にある。
- 逆さいちょう(さかさいちょう) - 推定樹齢750年以上、親鸞自ら植えたとされるイチョウの古木。伝承によると、親鸞のついた杖から生えてきたという。名の由来は、枝か下のほうに伸びて逆さになっているように見えることからきている。大戦時の空襲で被災したことで小さくなったものの、現在でも都内最大のイチョウであり、国の天然記念物に指定されている。
- アメリカ公使館 - 歴史の項でも触れたとおり、アメリカ公使館が設けられていたことを示す記念碑が建っている。
- 麻布山幼稚園 - 当寺院が運営している幼稚園。境内に隣接している。
- 柳の井戸 - 参道にある井戸。空海(弘法大師)が柳の木の下で錫杖を立てたところ、湧き出してきたという。現在でも少量ながら水が湧き出ている。関東大震災や東京大空襲の際は多くの人々が飲料水として利用した[4]。
- 近傍の超高層の建築物は元麻布ヒルズ(高所得者向けマンション)であり、その敷地は元は善福寺の所有地であったがバブル景気直前の1983年に森ビルが譲り受けて建設されたものである[5]。
- 境内の施設・史跡
- タウンゼント・ハリス顕彰碑
- 福沢諭吉の墓(雪池忌)
- 越路吹雪の碑
- 門左奥に生育する逆さいちょう
文化財
編集天然記念物(国指定)
編集- 善福寺のイチョウ(1926年10月20日指定)
重要文化財(国指定)
編集- 木造了海坐像 鎌倉時代末期
港区指定文化財
編集- 本堂
その他
編集交通アクセス
編集脚注
編集- ^ a b c 江戸名所図会.
- ^ 善福寺(元麻布一丁目六―二一)『新修港区史』p402-404
- ^ 麻布地区の旧町名由来一覧 港区役所
- ^ 「港区の文化財 第4集 (麻布 その南西部)」国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 元麻布ヒルズ・コンセプト・開発経緯
参考文献
編集- 斎藤長秋 編「巻之三 天璣之部 麻生山善福寺」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、36-41頁。NDLJP:1174144/23。