宇野内閣

日本の内閣
宇野宗佑内閣から転送)

宇野内閣(うのないかく)は、外務大臣衆議院議員及び自由民主党総裁宇野宗佑が第75代内閣総理大臣に任命され、1989年(平成元年)6月3日から1989年(平成元年)8月10日まで続いた日本の内閣

宇野内閣
内閣総理大臣第75代 宇野宗佑
成立年月日1989年(平成元年)6月3日
終了年月日1989年(平成元年)8月10日
与党・支持基盤自由民主党
施行した選挙第15回参議院議員通常選挙
内閣閣僚名簿(首相官邸)
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閣僚の顔ぶれ・人事

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国務大臣

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  • 在職日数69日
職名氏名所属特命事項等備考
内閣総理大臣宇野宗佑 衆議院
自由民主党
中曽根派
自由民主党総裁
法務大臣谷川和穂 衆議院
自由民主党
河本派
再入閣
外務大臣三塚博 衆議院
自由民主党
安倍派
横滑り
大蔵大臣村山達雄 衆議院
自由民主党
宮澤派
再任
文部大臣西岡武夫 衆議院
自由民主党
(宮澤派)
再任
厚生大臣小泉純一郎 衆議院
自由民主党
(安倍派)
再任
農林水産大臣堀之内久男 衆議院
自由民主党
(中曽根派)
初入閣
通商産業大臣梶山静六 衆議院
自由民主党
竹下派
再入閣
運輸大臣山村新治郎 衆議院
自由民主党
(竹下派)
新東京国際空港問題担当再入閣
郵政大臣村岡兼造 衆議院
自由民主党
(竹下派)
初入閣
労働大臣堀内光雄 衆議院
自由民主党
(宮澤派)
初入閣
建設大臣野田毅 衆議院
自由民主党
(中曽根派)
土地対策担当初入閣
自治大臣
国家公安委員会委員長
坂野重信 参議院
自由民主党
(竹下派)
再任
内閣官房長官塩川正十郎 衆議院
自由民主党
(安倍派)
再入閣
総務庁長官池田行彦 衆議院
自由民主党
(宮澤派)
初入閣
北海道開発庁長官
沖縄開発庁長官
井上吉夫 参議院
自由民主党
二階堂グループ
初入閣
防衛庁長官山崎拓 衆議院
自由民主党
(中曽根派)
初入閣
経済企画庁長官越智通雄 衆議院
自由民主党
(安倍派)
初入閣
科学技術庁長官中村喜四郎 衆議院
自由民主党
(竹下派)
原子力委員会委員長初入閣
環境庁長官山崎竜男 参議院
自由民主党
(宮澤派)
地球環境問題担当初入閣
国土庁長官野中英二 衆議院
自由民主党
(竹下派)
花と緑の万博担当
研究学園都市担当
初入閣

内閣官房副長官・内閣法制局長官

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職名氏名所属備考
内閣官房副長官牧野隆守衆議院/自由民主党(中曽根派)
石原信雄自治省
内閣法制局長官味村治法務省留任

政務次官

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前内閣の政務次官が9名留任した。

職名氏名所属備考
法務政務次官添田増太郎参議院自由民主党安倍派再任
外務政務次官田中直紀衆議院/自由民主党(二階堂G
大蔵政務次官吉村真事参議院/自由民主党(安倍派)再任
高村正彦衆議院/自由民主党(河本派
文部政務次官町村信孝衆議院/自由民主党(安倍派)
厚生政務次官近岡理一郎衆議院/自由民主党(竹下派
農林水産政務次官水谷力参議院/自由民主党(竹下派)再任
中川昭一衆議院/自由民主党(安倍派)
通商産業政務次官出口広光参議院/自由民主党(宮澤派再任
甘利明衆議院/自由民主党(中曽根派
運輸政務次官森田一衆議院/自由民主党(宮澤派)
郵政政務次官月原茂皓衆議院/自由民主党(安倍派)
労働政務次官宮島滉参議院/自由民主党(竹下派)再任
建設政務次官木村守男衆議院/自由民主党(竹下派)
自治政務次官長野祐也衆議院/自由民主党(中曽根派)
総務政務次官若林正俊衆議院/自由民主党(安倍派)
北海道開発政務次官工藤万砂美参議院/自由民主党(宮澤派)再任
防衛政務次官鈴木宗男衆議院/自由民主党(無派閥)
経済企画政務次官平林鴻三衆議院/自由民主党(竹下派)
科学技術政務次官吉川芳男参議院/自由民主党(二階堂G)再任
環境政務次官石井一二参議院/自由民主党(河本派)再任
沖縄開発政務次官寺内弘子参議院/自由民主党(中曽根派)再任
国土政務次官自見庄三郎衆議院/自由民主党(中曽根派)

勢力早見表

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  • 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。
  • 太字は自民党総裁並びにいわゆる自民党三役
  • 内閣官房副長官(政務)は政務次官に含む。
名称勢力国務大臣政務次官その他
たけした竹下派65衆議院議長幹事長国会対策委員長
みやさわ宮澤派53総務会長、参議院議員会長
あへ安倍派46参議院議長政務調査会長
なかそね中曽根派45総裁
こうもと河本派12
にかいとう二階堂G12
無派閥01
2124

内閣の動き

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リクルート事件の責任を取って竹下登が辞任し、前の竹下改造内閣は退陣した。間近に主要国首脳会議(サミット)を控えて、早急に次期首相自民党総裁を決めなければならない中、自由民主党の有力者が軒並みリクルート事件に絡んでいたため、身動きがとれなくなっていた。そこで、竹下改造内閣の外務大臣で、リクルート事件と関係も薄い宇野宗佑が、急遽自民党総裁に抜擢されて首相に就任し、組まれたのが宇野内閣である。閣僚には、リクルート事件と関係の薄い者を優先的に登用することで、世論のイメージアップも図られた。同内閣は竹下登前首相の後継指名による事実上の第二次竹下内閣[1]、「竹下院政」、「竹下直系」といわれ[2]竹下派小渕恵三小沢一郎が宇野にはかることなく人事を勝手に決めた[2]。当時の新聞も「党三役人事など竹下派幹部から、こう決まった。と一方的に連絡があっただけだ」と安倍派幹部はこぼし、中曽根派櫻内義雄会長は「宇野君は婿養子に行ったようなものだ」とまで語っている(1989年6月19日付日経夕刊)[2]

しかし、就任間もない宇野自身に週刊誌報道による女性問題が発覚してしまう。この「首相の女性問題」に、先の「リクルート事件」、「消費税導入」の3点セット(ただし、当時のNHKは「女性問題」を「農政」(輸入自由化)に差し替えた)により、同年7月に行われた第15回参議院議員通常選挙で、自由民主党は獲得議席数36議席と過半数を割り込み、結党以来の惨敗を喫した。

この責任を取って参議院選挙投票日翌朝に宇野は退陣を表明[3]。翌月には海部俊樹が後継総裁に選出され、宇野内閣は僅か在任期間69日間の短命内閣に終わった。この在任期間69日は第1次岸田内閣東久邇宮内閣第3次桂内閣(第1次と2次を合わせれば、今までの歴代内閣では安倍内閣に次ぐ2番目の長期である)、羽田内閣石橋内閣に次ぐ史上6番目の短命である。また、第3次桂内閣を除いた戦後だと、5番目の短命内閣である。大型国政選挙を経験した内閣としては戦後2番目の短命内閣である。地方選挙ではあるが6月に東京都議会議員選挙も行われ、第2党の日本社会党が肉薄する惨敗となった。

この宇野宗佑内閣時代に起こったトピックスとしては、

が挙げられる。

  • 宇野が中曽根派であったこと、総辞職した竹下内閣で外務大臣を務めていたことから、日本共産党国会議員から「中曽根亜流竹下リモコン内閣」と評された。
  • 辞任会見での「明鏡止水の心境であります」の一節は、当時流行語になった。
  • 宇野内閣から閣僚の親族・妻子を含む資産公開が行われるようになった。これは、リクルート事件に絡み、リクルートコスモスの未公開株の名義が政治家の妻子又は親族となっていた事例が存在したことが影響している。

脚注

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  1. ^ 芹川洋一著、平成政権史、日経プレミアシリーズ、2018年、22頁、日本経済新聞出版社
  2. ^ a b c 平成政権史25-26頁
  3. ^ 中日ニュース No.1604_2「自民惨敗、宇野首相退陣 -参院選-」(平成元年8月)”. 中日映画社 (2016年6月26日). 2020年12月8日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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