宮本 好宣(みやもと よしのぶ、1950年7月26日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手投手)、スカウト、プロ野球コーチ。右投右打。

宮本 好宣
基本情報
国籍日本の旗 日本
出身地大阪府大阪市東成区
生年月日 (1950-07-26) 1950年7月26日(73歳)
身長
体重
183 cm
72 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1975年 ドラフト6位
初出場1976年
最終出場1979年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

経歴

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京都府京都市下京区生まれ[1]大阪府大阪市育ち。

布施工業高から同志社大学へ進学。関西六大学野球リーグでは1971年春季リーグで優勝を経験。1972年春季リーグで初登板、同年秋季リーグでは関大に次ぐ2位と健闘。リーグ通算21試合登板し3勝6敗の成績を残した。

大学卒業後は、社会人野球エアロマスターに入団。1973年産業対抗でチームは優勝するが、エース細淵守男の控えにとどまり出番はなかった[2]1974年5月にエアロマスターの母体である日本熱学工業が倒産し野球部も解散となったため、西濃運輸に移籍。早川実ら先発陣をリリーフとして支える。同年の社会人野球日本選手権に出場、鐘淵化学との1回戦でリリーフとして登板する[3]

1975年プロ野球ドラフト会議日本ハムファイターズから6位指名を受け入団。長身から投げ下ろす右のオーバースローで、ストレートとスライダーが持ち味。他にカーブ、フォーク。プロ1年目の1976年から一軍登板を果たし、1977年にはプロ初勝利も記録。しかし、1980年以降は一軍登板がなく、1981年限りで現役を引退。

引退後は、日本ハムに残りスカウトを務める。大学の後輩でもある片岡篤史岩本勉を獲得した[4]

その後は、横浜ベイスターズの近畿地区担当スカウトを務め、大家友和金城龍彦[5]藤田一也らを担当[4]

在日韓国人三世(国籍は日本、韓国名:金好宣)[6]である出自を生かし、高陽ワンダーズ成均館大学校野球部、SKワイバーンズなど韓国の野球チームでのインストラクターを務め、2014年よりネクセン・ヒーローズの投手インストラクターとなった。2015年はネクセンの三軍コーチとなり、2016年は韓国のハンファ・イーグルスのコーチ、2017年はハンファの編成部長を務めウィリン・ロサリオの獲得に携わり同年オフに退団した[4]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1976日本ハム20000000------214.0811003106613.502.25
197763000100--1.0005112.01206001020443.001.50
1978102000000------10325.028371191015145.041.40
1979156100140--.20018843.24841912170025244.911.53
通算:4年3311100240--.33336384.29683323394050485.081.52

背番号

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  • 49 (1976年 - 1978年)
  • 12 (1979年 - 1981年)
  • 90 (2015年)
  • 88 (2016年)

出典

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  1. ^ 長谷川晶一 『夏を赦す』廣済堂出版 2013年 210頁、ISBN 9784331517482
  2. ^ 「日本社会人野球協会会報1973」日本社会人野球協会 1974年
  3. ^ 「社会人野球日本選手権大会20年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1994年
  4. ^ a b c ロサリオは超マジメ!「韓国のお父さん」が阪神助っ人のマル秘話”. サンケイスポーツ (2017年12月14日). 2017年12月14日閲覧。
  5. ^ 村瀬秀信著4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史 (双葉文庫)、双葉社、2016年、P53
  6. ^ 『夏を赦す』225頁

関連項目

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外部リンク

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