望月 英樹もちづき ひでき[1]1937年昭和12年〉[1] - )は、日本映画照明技師日本映画テレビ照明協会会長[1]東京都出身[1]

もちづき ひでき
望月 英樹
生年月日1937年
出生地日本の旗 日本東京都
国籍日本
職業照明技師
ジャンル映画
活動期間1962年 - 2003年
 
受賞
日本アカデミー賞
最優秀照明賞
1997年誘拐
その他の賞
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人物・経歴

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1956年東京都立蔵前工業高等学校を卒業[要出典]東宝の照明助手となる[1]。1980年に照明技師へ昇進する[1]

ブルーバック(グリーンバック)合成での撮影は、緻密に計算するよりも臨機応変にフレキシブルな対応をする方が良いと考えており、太陽光線の角度などを正確に作っても人間の視覚にはそういった情報は残らないと述べている[1]

役者と会話をすることで場を和ませることに長けており、監督勢からも重用されたほか、中尾彬から「一番好きなライトマン」と評されたこともあった[1]。ゴジラシリーズを多数担当していたことから海外にもファンがおり、『GODZILLA』(1997年)の監督を務めたローランド・エメリッヒにも対面して喜ばれたという[1]

作品

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公開年作品名制作(配給)役職
1962年(昭和37年)8月11日キングコング対ゴジラ東宝照明助手
1968年(昭和43年)11月2日日本一の裏切り男東宝
渡辺プロダクション
(東宝)
1969年(昭和44年)4月27日クレージーの大爆発
1970年(昭和45年)6月13日日本一のヤクザ男
1980年(昭和55年)6月26日復活の日[1]角川春樹事務所
TBS
(東宝)
照明
1981年(昭和56年)2月11日帰ってきた若大将東宝映画
加山プロダクション
(東宝)
11月7日駅 STATION東宝映画
(東宝)
1982年(昭和57年)10月16日海峡
1983年(昭和58年)8月4日嵐を呼ぶ男東宝
ジャニーズ事務所
1984年(昭和59年)10月6日おはん[1]東宝映画
(東宝)
1985年(昭和60年)12月21日姉妹坂
1987年(昭和62年)7月11日漂流教室CCJ
日テレ
バンダイ
東和プロダクション
東宝東和
8月1日トットチャンネル東宝映画
(東宝)
12月19日ゴルフ夜明け前
1988年(昭和63年)3月29日日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群フィルムリンク・インターナショナル
アートリンクス
7月23日優駿 ORACIONフジテレビ
仕事
(東宝)
1989年5月13日マイフェニックス東宝
東急エージェンシー
1990年(平成2年)11月17日飛ぶ夢をしばらく見ないアニベール化粧品
須川プロダクション
松竹
1992年(平成4年)12月12日ゴジラvsモスラ[1]東宝映画
(東宝)
1993年(平成5年)12月11日ゴジラvsメカゴジラ
1994年(平成6年)7月9日ヤマトタケル
12月10日ゴジラvsスペースゴジラ
1995年(平成7年)12月9日ゴジラvsデストロイア
1997年(平成9年)6月7日誘拐[1]
1998年(平成10年)6月6日絆 -きずな-
2002年(平成14年)12月14日ゴジラ×メカゴジラ[1]
2003年(平成15年)9月13日ロボコン[1]小学館
TOKYO FM
日本出版販売
東宝映画
(東宝)
12月13日ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS[1]東宝映画
(東宝)

受賞歴

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受賞年受賞名
1982年第5回日本アカデミー賞優秀照明賞
1985年第8回
1989年第12回
1998年第21回最優秀照明賞
2015年旭日小綬章[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 3式機龍コンプリーション 2016, p. 19, 「STAFF MESSAGE 望月英樹」
  2. ^ 平成27年秋の叙勲 旭日小綬章等受章者 東京都” (PDF). 内閣府. p. 2 (2015年11月3日). 2023年5月26日閲覧。

参考文献

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  • 『映画の賞辞典』日外アソシエーツ、2009年。ISBN 4816922237 
  • 『特撮 円谷組 〜ゴジラと東宝特撮にかけた青春〜』洋泉社、2010年。ISBN 4862486223 
  • 『ゴジラ×3式機龍〈メカゴジラ〉コンプリーション』ホビージャパン、2016年12月21日。ISBN 978-4-7986-1353-6 

外部リンク

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