柴田 光陽(しばた みつはる、1952年12月3日 - )は、日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師。義理の父(妻の父)に布施正(元調教師)、義理の姉たち(妻の姉たち)の配偶者新川恵(元調教師)、岩元市三(元調教師)らがいる。

柴田光陽
基本情報
国籍日本の旗 日本
出身地福岡県
生年月日 (1952-12-03) 1952年12月3日(71歳)
騎手情報
所属団体JRA
所属厩舎栗東・清田十一(1975年 - 引退)
初免許年1975年3月1日
免許区分平地
騎手引退日1989年2月28日
重賞勝利6勝
通算勝利2067戦184勝
調教師情報
初免許年1989年(1990年開業)
経歴
所属栗東トレーニングセンター
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来歴

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1971年、栗東・柴田不二男厩舎所属の騎手候補生となる。

1972年、栗東・清田十一厩舎所属となる。

1975年騎手免許を取得し、同厩舎所属で騎手デビューする。デビュー戦は3月1日で、サワヤカホマレに騎乗し5着、5月24日にサワヤカホマレに騎乗してレースを制し、初勝利を挙げた。

1977年7月10日金鯱賞をマチカネライコーに騎乗して制し、重賞初勝利を挙げた。

1980年ワシントンDCインターナショナルでハシクランツに騎乗するためアメリカに遠征した。なおレースは8着だった。

1989年、2月に調教師免許を取得し騎手を引退する。騎手成績は、中央競馬通算2067戦184勝。

1990年、厩舎を開業し、3月3日に管理馬が初出走し、マチカネオハラハーが14着となり、4月20日にマチカネモユルが勝利し、のべ20戦目で管理馬が初勝利を挙げた。

1998年11月21日京都大障害(秋)をイチバンリュウが制し、管理馬が重賞初勝利を挙げた。

1999年2月1日地方競馬への管理馬初出走となった名古屋競馬場で行われた名古屋チャレンジカップ マンゴー賞にフェザンツフェザーが出走して4着となる。

2000年2月21日荒尾競馬場で行われたたんぽぽ賞をアイティースワローが制し、管理馬が地方初勝利を挙げた。

2004年2月1日に中央競馬通算200勝を達成した。

2018年2月28日付けで調教師を勇退することになった[1]

騎手成績

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通算成績1着2着3着騎乗数勝率連対率
平地1751802131990.088.178
障害916377.117.325
1841962162067.090.185
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1975年3月1日2回中京5日3R4歳未勝利サワヤカホマレ8頭85着
初勝利1975年5月24日3回阪神1日1R4歳未勝利サワヤカホマレ5頭11着
重賞初騎乗1975年12月14日5回阪神6日9R阪神牝馬特別ユウナス9頭94着
重賞初勝利1977年7月10日3回中京8日7R金鯱賞マチカネライコー19頭121着
GI級初騎乗1979年11月11日5回阪神4日9R菊花賞ハシクランツ18頭112着

主な騎乗馬

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その他

調教師成績

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日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1990年3月3日1回中京1日5R4歳上500万下マチカネオハラハー16頭1014着
初勝利1990年4月1日3回阪神4日9Rアザレア賞マチカネモユル14頭121着
重賞初出走1990年4月29日2回東京4日11R4歳牝馬特別マチカネモユル16頭1110着
GI初出走1990年5月20日3回東京2日10R優駿牝馬マチカネモユル20頭1714着
重賞初勝利1998年11月21日6回京都5日9R京都大障害(秋)イチバンリュウ9頭31着

主な管理馬

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脚注

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  1. ^ 調教師12名が勇退・引退日本中央競馬会、2018年2月13日閲覧

関連項目

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