1544年(1544 ねん)は、西暦ユリウス暦)による、閏年

千年紀: 2千年紀
世紀:15世紀 - 16世紀 - 17世紀
十年紀:1520年代 1530年代 1540年代 1550年代 1560年代
:1541年 1542年 1543年 1544年 1545年 1546年 1547年

他の紀年法

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できごと

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  • ゼバスティアン・ミュンスターが科学百科事典コスモグラフィア英語版の初版を出版する。コスモグラフィアは広く大衆が手に取りやすいように母国語で書かれており、同時期の本の販売部数が200部程度だったのに比べドイツ語版だけで5万部が売れ、100年以上も影響を及ぼし続けた[1]
  • 日本の近畿東海が8月6日~7日(天文13年7月8日~9日)に暴風雨に襲われ、大洪水が発生して多数の死者が出た[2]京都醍醐寺の僧、理性院厳助が同時代に見聞した記録「厳助大僧正記」によれば“京中人馬数多流失。在家町々釘抜門戸(扉のない門)ことごとく流失。四条・五条橋、祇園大鳥居流失。禁中(宮中)西方の築地流損。四足などの御門(親柱の前後に控柱が2本ずつある門)に於いては、武家奉公衆馳せ参じて事なし。東寺南大門西、四塚に至る舟を着く云々。日吉大宮橋流落。その外、叡山諸坊数宇、また僧俗稚児若衆数十人流死。淀・鳥羽辺に至って流れ留まり、稚児若衆の死体多し。凡そ前代未聞の珍事なり”と記している[3]

誕生

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死去

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出典

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  1. ^ クレッグ 2020, pp. 90–93.
  2. ^ 伊藤和明『明日の防災に活かす災害の歴史〈2〉平安時代戦国時代小峰書店、2020年4月7日、43頁。ISBN 978-4-338-33702-1 
  3. ^ 池田正一郎著「日本災変通史>中世 戦国時代>天文11年 312頁:七月九日」、小倉一徳編、力武常次、竹田厚監修「日本の自然災害>第Ⅱ章 記録に見る自然災害の歷史>1.上代 中世の災害>南北朝・室町時代の主要災害一覧 67頁:近畿・東海諸国大風雨」[1]

参考文献

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  • ブライアン・クレッグ 著、石黒 千秋 訳『世界を変えた150の科学の本』創元社、2020年2月20日。ISBN 978-4-422-40045-7 

関連項目

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