1969年の近鉄バファローズ

1969年の近鉄バファローズでは、1969年の近鉄バファローズの動向をまとめる。

1969年の近鉄バファローズ
成績
パシフィック・リーグ2位
73勝51敗6分 勝率.589[1]
本拠地
都市大阪府大阪市
球場日本生命球場
球団組織
オーナー佐伯勇
経営母体近畿日本鉄道
監督三原脩
« 1968
1970 »

テンプレートを表示

この年の近鉄バファローズは、三原脩監督の2年目のシーズンである。

概要

編集

開幕直後は阪神から移籍したジーン・バッキーが前年の負傷の影響から4連敗と不調、チームも4月下旬に9連敗を喫し最下位に低迷していたが、直後に6連勝で波に乗ると、5月中旬から怒涛の12連勝をマークし一気に首位争いに浮上。その後も連勝を重ね、6月26日には阪急を直接対決で下し、初めて首位に立った。打撃陣では大砲として獲得したジムタイルが両足の故障でまともに走れず「得点が本塁打を下回る」という不名誉な記録を残し1年で解雇された一方で、2年目の永渕洋三小川亨がレギュラーに定着し、永渕は張本勲と同率で首位打者となり、またジムタイルの離脱で伊勢孝夫が一塁のレギュラーを獲得した。一方投手陣はバッキーが結局1勝も挙げられずこの年で引退したものの、鈴木啓示が3年連続20勝となる24勝を挙げ初めて最多勝のタイトルを獲得し、清俊彦も自身初の2桁となる18勝を挙げ、15勝の佐々木宏一郎と合わせて先発三本柱が安定した成績を残してチーム73勝のうち57勝をこの3人が稼いでチーム防御率もリーグ唯一の2点台を記録し、55完投はリーグ1位。7月以降阪急と熾烈なマッチレースを展開したチームは、10月15日の終了時点で阪急を勝率でわずかに上回り、最後の直接対決4連戦を迎えたが、最初の18日のダブルヘッダー第1試合で清が相手投手の宮本幸信にサヨナラ本塁打を打たれ敗れると、次の第2試合も佐々木が終盤に捕まり大敗、そして準本拠地藤井寺球場で行われた10月19日の試合は清と鈴木で3点を失い、その後2点を返したがあと1点届かず、悲願の初優勝の夢はあと一歩のところで潰えた。

チーム成績

編集

レギュラーシーズン

編集
開幕オーダー
1安井智規
2山田勝国
3永淵洋三
4土井正博
5ジムタイル
6飯田幸夫
7相川進
8木村重視
9鈴木啓示
1969年パシフィック・リーグ順位変動
順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位阪急--阪急--阪急--阪急--阪急--阪急--阪急--
2位東映3.5近鉄2.5近鉄0.5近鉄0.0近鉄0.5近鉄1.0近鉄2.0
3位ロッテ4.0東映6.0東映8.0東映6.0ロッテ8.0ロッテ6.5ロッテ5.5
4位南海6.0ロッテ7.0ロッテ8.0ロッテ8.5東映14.5東映17.0東映19.5
5位西鉄南海7.5西鉄9.0西鉄12.0西鉄15.0西鉄20.5西鉄25.0
6位近鉄7.5西鉄10.0南海16.5南海18.5南海22.0南海24.0南海26.0


1969年パシフィック・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位阪急ブレーブス76504.603優勝
2位近鉄バファローズ73516.5892.0
3位ロッテオリオンズ69547.5615.5
4位東映フライヤーズ57703.44919.5
5位西鉄ライオンズ51754.40525.0
6位南海ホークス50764.39726.0

[1]

オールスターゲーム1969

編集
ファン投票鈴木啓示安井智規永淵洋三
監督推薦佐々木宏一郎清俊彦土井正博

できごと

編集
  • 5月18日 - ジムタイルが対阪急6回戦(西宮)の2回表に3号本塁打を放つも、一塁ベース手前で左足が肉離れを起こして負傷し、伊勢孝夫がジムタイルの代走としてホームインする[2]

選手・スタッフ

編集

[3][4]

表彰選手

編集
リーグ・リーダー
選手名タイトル成績回数
永淵洋三首位打者.333初受賞
最多安打162本初受賞
鈴木啓示最多勝利24勝初受賞
最多奪三振286個3年連続3度目
清俊彦最高勝率.720初受賞
ベストナイン
選手名ポジション回数
鈴木啓示投手初受賞
永淵洋三外野手初受賞

ドラフト

編集
順位選手名ポジション所属結果
1位太田幸司投手三沢高入団
2位神部年男投手富士製鐵広畑入団
3位西村俊二内野手河合楽器入団
4位鈴木香外野手駒澤大学拒否・日本鉱業日立入社
5位石山一秀捕手平安高入団
6位佐藤竹秀外野手日本軽金属翌年シーズン後に入団
7位八塚幸三投手四国電力拒否
8位斎藤英雄投手サッポロビール入団
9位辻忠嗣内野手三重高拒否・中京大学進学

脚注

編集

注釈

編集

出典

編集
  1. ^ a b 年度別成績 1969年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月30日閲覧。
  2. ^ 読売新聞1969年5月19日9面「史上初の代走本塁打」読売新聞縮刷版1969年5月p529
  3. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 138 
  4. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7